ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

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汚部屋.jpg

大喜利ではありません(笑)。

カレンダーが11月に近づくと
だんだん「年末」という言葉が
ちらつくようになってきます。

年末に向けて片付けなければならないのは、
仕事だけではありません。

大掃除をするのは大変だから一年を通して
小掃除をちょこちょこやろうと思っていて
結局やらなかった家の中を、
年末に向けてなんとかせねばなりません。

数日前、ネットを眺めていたら
「1日5個捨てる大作戦」
という記事を見つけました。

この記事を書いたのは藤原華さんという方で、
過去にもクローゼットの服の断捨離リストが
ユニークだったことで注目された方のよう。

この「1日5個捨てる大作戦」にも、
エリアごとの捨てる対象物リストがあって、
それがおもしろい。
「あるある」と頷けるものなので、
またもや話題になっています。

例えば、

台所・お風呂
・なぜか二つある缶切り
(錆びているほうを捨てる)
・冷蔵庫の奥深くで眠っている人参のミイラ
・コンビニの割り箸とフォーク(一生使わん)
・おまけでもらった石鹸

洗面所・お手洗い・居間
・「あとで掃除に使う」と残しておいた歯ブラシ
・ディズニーのおみやげでもらったお菓子の缶
・何かのネジ

など。

ある・・・ありますねえ・・・

リストを読むだけでおもしろい。
リストは新しいエンタメコンテンツかも。

あ、今日お伝えしたいことは、
実際に行動に移すためには、
自分がワンステップを踏み出しやすい、
遊び心と工夫が大事だということです。

掃除や片付けが好きな人・得意な人は、
そもそも年末に向けて
大量にものを捨てる必要がないわけで、
1日5個捨てる大作戦を
決行しなくてはいけない人は、
片付けが得意じゃない人。

そういう人は、
片付けや掃除というワードにまったく
心が踊らないのです。

でも、

「こういうの、家にありますよね?
それ、捨ててみてはどうですか?」

というオモシロリストがあったりすると、
楽しい気分になり、やる気になる(笑)。

そして、この「1日5個捨てる大作戦」リスト、
じっくり見てみると
読んだ人がアクションしやすいよう、
よく考えられているし、
読者目線で興味がわくようにできている。

客観的な視点を感じるなあと少し調べたら、
リストの作者である藤原華さん、
『片づけをプロジェクト管理してみたら
汚部屋が生まれ変わった』
という本を出していて、
片づけをプロジェクトとして捉えて、
KPIを設定し、WBSを作り、
PDCAを回しています(笑)。
なるほど。客観視、できるわけです。

ちなみに、実は私も以前同じようなことを
考えたことがありました。

家事は仕事なんだから、
PDCAを回すという発想が必要だ。
クオリティを保ちながら、
効率も上げるにはどうしたらいいか、
可視化してはどうか、
というようなことです。

私の場合、これを思いついた時は
とたんにおもしろくなってしまい、
エプロンをつけたままデスクにはりついて
エクセルをいじって、
家事どころじゃなくなったのですが、
この華さん、
しっかり片付けに落としているところが
すばらしい。
形にするまで、続けるって
本当に大事です・・・

何の話ですか?という感じになってきました。

お伝えしたかったことを、まとめてみます。

目の前のタスクが興味があることであれば、
どう取り組むかをいちいち考えなくても
高い熱量で取り組めると思います。

しかし、苦手なことである場合は、
そこに向かっていくための何かが必要。
この華さんのように、
おもしろリストをつくって作戦名をつけて
取り組むのもよし、
プロジェクト化して仕事のように
取り組むのもよし、
もしかしたらゲーム感覚でできるよう、
「昨日の私を超えろ!
トイレ掃除3分チャレンジ」など、
ゲームを考えてしまうのもいいかもしれません。

何が響くかは人によって違います。
仕事でも、プライベートでも、
自分はどういうことだとモチベが上がるのか、
どんなことだと取りかかりやすいのか、
そんなことを考えて、
取りかかり方を工夫してみると
いいかもしれません。
それで、もしうまくいったら、
ほかのことにも応用できます。

そう考えると、
年末の片付けも楽しくなりますね。

「いやいや、
そんなこと考えている間に
早く掃除しちゃえばいいでしょ!」

という声も聞こえてきます・・・

季節の変わり目、体に気をつけてまいりましょう!

やってみよう.jpg

「遠くを見ています」


テレビのインタビュー番組に出演していた
草彅剛さんが、なぜそんなに目がいいのか、
何か特別にしていることがあるのか、と聞かれ、
そう答えていました。

インタビュアーが、
いやいや、そんな簡単なことであるわけがない、
もっと他に何かやっているでしょう、
というような反応をしたら、
草彅さんは、こんなことを言いました。

「だいたい、そういう反応されるんですよ。
そんなわけないって。でも、皆さん、
子どもの時から、遠くを見るのは目にいい、って
言われてきているのに、実際やっていないでしょう?
やってます? 僕はちゃんとやっているんですよ」


「ああ、そうだ。本当にそうだ」と私は思いました。

いいと言われていることを素直にやっているのか?
やったと言えるほど、続けたのか?と。

「よく噛んで食べなさい。30回噛みなさい」

なんて、言われたりします。

よく噛むと体にいいと
私も親や祖父母に言われました。

でも、私はやってこなかった。

どう体にいいのかわからんと思っていたのか、
面倒臭いと思っていたのか、
子どもの私がどう感じていたのかは覚えていませんが、
とにかくやってきませんでした。


昔から言われていたことに限らず、

「エスカレーターではなく階段を使うといい」
とか
「水をたくさん飲むといい」
など

健康にいいというジャンルに絞っても、
「こうするといい」という情報は山ほどあります。

これまた、私の場合、
素直に採用していることはほとんどありません。

無意識に、
「そのやり方は私に合っていない」とか
「いや、もっと効果がある方法があるはずだ」と、
やらない理由を考えているのかもしれない。

書きながら、そう自分自身の癖を分析したのですが、
いやこれは、まず自分でよく理解してから取り入れたい、
ということだと気づきました。

よく理解していないものに手をつけたくないというやつ。

でも、これ、理解するまでに時間がかかるわけなので、
なかなか手をつけないということになります。
「ちょっと待って、まだ理解していないから」
なんて言っていると、時間がどんどん過ぎる。

そして、なんだかんだ、
オリジナリティを加えようとする 笑。
そのままやりたくない。
厄介です。

仕事や勉強でもそうかもしれません。

「こうするといいよ」という情報やアドバイスを
もらっても、そのまま実行しない。

これもまた、
「待って、これから理解するところだから」
とか
「私なりのやり方があるはず」
みたいな理由ですね・・・
そうなると、いつまでたってもやらない。


まずは、言われたまま、素直にやってみる。
いろいろ工夫を加える前に、やってみる。

これ、とても大切だと気づきました。

なんでもかんでも片っ端からやったほうがいい
ということではもちろんありません。
でも、難しいことをいろいろ考えず、
まずは言われたまま、いくつか試してみる、
とにかく早く取り掛かることが大事だなと。

やりながら理解することもできるし、
やらないと理解できないこともある。
やらないと、自分に合っているかどうかもわからない。

守・破・離ですね、これは。
守を全然やっていないのに、破に行っちゃいかんよ、
まず、教えのままやってみて、
そこから自分のオリジナリティを加えなさい、
ってことですね。

まずはレシピ通りやってみよう、
つべこべ言わずにまずやってみなさい、私! 笑

というわけで、
書きながら、自分自身にツッコミを入れる、
リフレクション感満載のメルマガになりました。

さて、あっという間に8月も終わり。
暑すぎて、早く秋が来ればいいと思っていたのに、
ツクツクボウシの鳴き声が聞こえると
夏の終わりを感じて寂しくなってしまいます。

とはいえ、9月もまだまだ暑いでしょう。
台風も心配です。
体調に気をつけてまいりましょう。

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連日、熱い戦いが繰り広げられている
パリオリンピックですが
皆さん、開会式はご覧になりましたか?

私はオンデマンドでじっくり見たのですが、
すごくよくできたショーだなと思いました。
そして、何と言っても、
最後のセリーヌ・ディオンの
愛の讃歌がすばらしかった。
病気でしばらく活動できなかったセリーヌ。
もう歌えないのではと言われていましたが、
ステージでのあの堂々としたプレゼンス。
泣きました。

さて、セリーヌ、歌はもちろん
エクセレントだったのですが、
ドレスもとても美しいと思いました。

パッと見はシンプルな白いドレス。
でも、よく見ると、
細かなフリンジやビーズが
散りばめられていて、
私はファッションの専門家でも
なんでもないですが、
これは計算されたシンプルだなと
思いました。

後日調べたら、彼女のために
ディオールがデザインしたのですね。
アトリエで1,000時間かけて
生み出されたドレスだそうです。
当日のあの場と歌、
彼女の雰囲気にぴったりでした。

考えてみたら、
あのエッフェル塔のステージも、
セリーヌの復帰ステージだと捉えると、
もっとゴージャスにしたいと
思っちゃいますよね、普通なら。
もっと、もっと飾ろう、と。

でも、ステージ自体も大変シンプルで、
エッフェル塔全体をステージとして捉えたときに
生きるようにデザインしたのだなと思えました。

シンプルは強い。
でも、シンプルは難しい。

そう、あらためて思いました。

よく引き算のデザインと言いますが、
引き算は難しいですよね。
一回、盛ったものを
引くということが難しいんですよね。

普段のファッションもそうですね。
一度、いろいろ足してしまったら、
そこから引くのはとても難しい。
なぜなら、引いた瞬間
「さみしいなあ」と思ってしまうからです。

インテリアもそうです。
いったんいろいろ並べてみた。
壁にも絵も掛けてみた。
間接照明も加えてみた。でも、何か違う。
そしてどんどん足してゴチャゴチャになる。
そうなると、引くのは大変です。
引けば、引くほど、さみしくなる(笑)。

文章もそう。
いろいろ情報を付け加えたほうが
相手にとっても親切だろう、
伝わるだろうと思って追加する。
そうしたら、モリモリになって
かえってわかりにくくなってしまった。
でも、もう何を引けばいいのかわからない。
ありがちです。

引き算が難しいのは、
考えが必要だからですよね。
コアになる考え、コンセプトや
メッセージとも言えるでしょうか。

考えがあれば、
「こういう考えだから、これを強調する、
あとはいらない」
となるのですが、
考えがないと、何を基準に引き算するか
判断できなくなってしまうのだと思います。
そもそも、引くという行動は
勇気を必要とすること。
判断軸がないと、さらに難しい。

そして、考えは、
盛る前になくちゃいけないものですね。
考えがあったら、それを強調すればいいわけで、
いらない要素を盛らない判断ができます。

なんて、書きながら、
私も今、「そういうことか」と気付きました(笑)。

何事も、考えが大事。
その考え方が目立つようにし、
そうでないところは削ぎ落とす。

難しいですけど、そういうことですね。

まだまだ暑いですが、
皆さんご自愛ください。

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昔から血液型や星座によるタイプ診断的なものに
興味がありません。

興味がないのは、一度も「当たってる」と
思ったことがないからだと思います。

私はA型で山羊座なのですが、
この組み合わせで目にする説明は
だいたい以下のような感じです。

「とても真面目。几帳面。慎重。コツコツ努力型」

ううむ。当たってない。

そんなわけで、血液型論は信じてこなかったのですが、
世の中、結構頻繁に人間関係と血液型が
一緒に語られますよね。
プライベートトーク、とくにママ同士のトークなどでは
よく出てきました。

「B型なんだ。やっぱりね」
「そうだよね、あの人AB型だもんね」

のような会話です。
私の場合は「A型っぽくない」と
言われ続けてきました。

A型は真面目で几帳面とか、AB型は変わっているなどの
なぜそう言えるのか?というような情報を
無意識に信じてしまって、バイアスになっていることを
確証バイアスと言いますよね。

血液型以外にも、
「女性はていねいだから、細かい仕事に向いている」
とか
「アウトドア派の人は明るく、コミュ力が高い」
とか(笑)、まだまだあると思います。


人事コンサルタントの曽和利光氏によると、
そもそも、人が確証バイアスにとらわれてしまうのは、
脳を「省力化」したいからだそうです。

日々接するさまざまな対象を
イチから認識・解釈していくと、
知的パワーを大幅に消費することになり、頭が疲れる。
すでに何度も直面した対象(物事)に、
毎回初めて出会ったかのように
イチから認識を始めていては、
知的パワーがいくらあっても足りないので、
思い込むことで省力化しているのだと言います。

なるほど。確かにそうかもしれません。
時間もパワーも有限です。
いちいち、「いや、本当にそうなんだろうか。
そうとは言い切れないんじゃないだろうか」
とならないやり方を脳が選んでいるのかもしれません。

しかし、確証バイアスにとらわれてしまうと、
フラットな判断ができなくなります。

曽和氏は、ジョブズやザッカーバーグが
毎日着る服に悩まないよう、
ユニフォーム化しているのは、
脳のパワーを使わない対象をつくることで、
それ以外の判断をクリアにできるようにしていると
説明しています。

そうか。やはりインプットでも「緩急」なんだ。
と、私は思いました。

なんのこっちゃってことですが、
私は、以前から度々このメルマガで
「緩急」「強弱」はとても大事
ということをお話ししています。

それは、主にアウトプットでの意味でした。
たとえばダンスや音楽だとわかりやすいですが、
全部を同じスピードで、強い力で表現しても
あまり良さが伝わらないけれど、
速くなるところ、遅くなるところ、
強いところ、弱いところが表現されていると、
ぐんとストーリー性が出て、見ている人、
聞いている人の感情に
アクセスしやすくなる。
これは、記事の執筆などでも同じです。

しかし、今回の話はインプットの話。

脳は、何かを理解する時、
いつも全力でパワーを使わないように、
確証バイアスで省力化している。
しかし、それだとフラットな判断ができなくなる。
そうならないように、
脳がパワーを使わない対象を決めて、
脳がきちんと休める状態もつくり、
逆にパワーを使わなくてはならないところに
使えるようにしよう。
ってことですもんね。

ああ、私がたまにボケボケなのはこのためなのか。
最近はしなくなりましたが、
缶切りを買いにいったのに、
栓抜きを買ってきてしまったのは
脳の省力化だったのね、
あれによって、
ほかの時間は冴えていたのかもしれない、
と妙に納得。

いやいや、結果として緩急がついちゃった、よりも、
ちゃんと意図して緩急をつけたほうがいいですね。

ここで脳を使わないようにしよう、
逆にこっちで使おう。
そんなふうに少しでも意識してコントロールできれば、
確証バイアスが働かないように
できるのかもしれません。

皆さんは脳のパワーをどこで使って、
どこで休めますか?

さて、本格的に暑くなってきましたね。
体調に気をつけてまいりましょう。

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家の片付けをしていたら、20年ほど前に買った
コンパクトデジタルカメラが出てきました。
最後に使ったのはたぶん12~3年前くらい。
そこからずっと引き出しの奥で
眠っていました。

まだ使えるかどうかわかりませんでしたが、
充電してみたら動いたので、
早速何枚か撮ってみることにしました。
初期のコンデジなので
使い方はとてもシンプルですが、
いろいろと忘れてしまっていたので、
ネットで取扱説明書を探し、
あらためて機能を調べました。

少しずつ設定を変えながら撮っていて
気づきました。
とても優秀なカメラだったのだと。

当時は子育てでバタバタだったこともあり、
AUTOで撮るばかりで、
どこをどのくらい調整できるのかを
あまり見ておらず、
いたって普通の写真を撮っていました。
でも、あらためて触ってみると、
かなりいい感じで撮れるのです。

20年近く、気づいていなかった。

うう、購入時にちゃんと調べておけばよかった。
なんて後悔したものの、
「ま、普通に撮れればいいか」
くらいに思っていたのも事実。

でもやはり、もっと前にやる気になって
使いこなせるようになっていれば、
高いクオリティの子ども写真が
残せたはず・・・と反省しました。

考えてみると、こういうことはよくありますね。

「機能を知らなかったから、使ってこなかった」
ということもあると思いますが、

「なんとなく知ってはいたけど、
情報を得るのが面倒で使わなかった」
とか
「なんとなく知ってはいたけど、
難しそうだったので、使ってこなかった」

こっちのほうが多いのではないでしょうか。

たとえば、スマホ。
便利機能があるのは知っているけど、
調べるのも覚えるのも面倒で、
一瞬で終わるかもしれない作業に
何分もかけている。

とか

エクセルで何かの資料をつくるとき、
関数やマクロを使えば長い目で見ると
効率化につながるのに、
覚えるのも理解するのも大変そうだから、
非効率だと知っているけれど
今までのやり方でやっている。

など。

なぜ新しい情報を得たり、覚えたり、
試してみたりするのを避けるのか。

最初に出てくる理由はおそらく、「忙しいから」。

でもきっと、その奥には
こんな思いがあるのではと思います。

「今、特に困っていないから、今までと一緒でいい」

「下手に何か変えると、時間がかかってややこしい」

「何か新しいことをして、失敗するのがいやだ」

自分で書きながら、いろいろ思い出されて
反省モードに入ってきました(笑)。

はい、そうです。
「忙しいし、いろいろ調べたり、試す時間がない」
これですよね...

しかし、じゃあ忙しくないタイミングが
いつかやってくるのか?
というと、そんなことはない。
常に「忙しい」。
なので、これを続けていると、
「THE前例踏襲の人」になってしまいます。


世の中、リスキリングが叫ばれています。
ベネッセが2023年に
社会人4万人を対象に実施した
「リスキリングに関する生活者理解のためのインサイト調査」によると、
社会人の約40%が、
直近1年間の学習経験も今後の学習意欲もない
「なんで学ぶの」層なのだそう。

調査では、人生に対して主体性が持てない、
自己肯定感が低い人が多く存在すること、
そして、リスキリング=押し付けられるだけの終わらないタスク
と捉える人が多いことも明らかになりました。

ううむ。
やはり学びは自発的でないといけないですよね。
自分では学ぶ意味がないと思っているのに、
外から「学べ!」と言われても、
本当の学びにつながるとは思えません。

では、どうしたら学ぶ意欲が高まるのか。

これは私の考えですが、
一つは学びのハードルを下げることかなと思います。

お金を払って何かの学校に行ったり
オンライン講座を受けるなどの学びもいいですが、
学びのイメージが学校や講座ありきだと
金銭的、時間的理由からなかなか始められない。
なので、今日、新しい機能を一つ使ってみる、
くらいでもいいのではないでしょうか。
昨日と違うことをしてみるくらいの気軽さで
トライしていると、1年経てば、
かなりの学び量になっていますよね。

あとは、未来を見るしかないんじゃないかな
と思います。

過去にうまくいかなかったから、やる意味がない。
など、過去の失敗経験に囚われると、前に進めません。
だから、未来を見る。
そして大袈裟なくらいポジティブなイメージを描く!

これを覚えたら、仕事がだいぶ効率化されて、
帰りにジムに寄る時間が増えて、
スーパーボディになるかも!

くらいのやつです。
自分自身が楽しむのが一番ですから。

なんて言ってますが、
実は私もいろいろとできていない...。
今回は自分自身に言い聞かせる感じになりました。

さて、もう6月も中旬です。
今年が半分終わりますね。
ジメジメしていますが、
体調に気をつけてまいりましょう!

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同じ話を聞いたのに、
人と捉え方が異なっていて、驚いた。
そんな経験はないでしょうか。
かなり前の話ですが、当時、
当社でアルバイトをしていた大学生が
こんな話をしてくれました。

「先週、内定者の飲み会があったんです。
ひどかったんですよ、みんな結構飲むから、
つぶれる人が出ちゃって。
僕も結構飲んだんですけど、
なんか介抱する役になっちゃって、大変で」

何日か経って、
その話を一緒に聞いていたスタッフと
雑談をしていたら、
彼女がこんなことを言いました。

「そういえば、先日のアルバイトくんの話、
ひどい話でしたね。かわいそうですよね。
せっかくの集まりなのに。
ひどい飲み会ってあるんですね。
信じられません」

私は、ちょっと驚きました。
というのは、私はアルバイトくんの話を
「なんだかんだ、楽しかった
若者の飲み会エピソード」
として聞いていたからです。

今は、おそらくそんなことはないのでしょうが、
私の学生時代や会社の新人時代の
大人数での飲み会を思い起こすと、
大抵だれかが飲みすぎてつぶれていました。

そういうものだったので、
アルバイトくんの話を聞いた私は

「若いと飲みすぎちゃうよね。
そういうものだよね。楽しそう。
ああ若いっていいね」

くらいの感想でした。

なので、あの話を「ひどい話」として聞いて
いた人がいたんだとびっくりしたのです。

「え、あれ、なんだかんだ楽しかった、
っていう話じゃないの?」と言うと、
彼女は目を丸くして
「えええ?」と驚いていました。

彼女は私より少し下くらいの年齢で、
世代が違うというほどでもありません。
ですが、よく聞いてみると、彼女は、
飲みすぎてつぶれるような飲み会に
参加したことがないということでした。
そんなに大勢で飲んだこともない、と。
「経験したことはないけど、
誰かが飲みすぎてつぶれるなんて、
楽しいわけないじゃないですか」と。

なるほど。そりゃ、そうだ。

この時、私は思ったのです。
同じ話を聞いても「楽しい話」にも
「信じられないくらいひどい話」にも
なるんだなあ。それは聞く側が
どんな経験をしてきたかによるのだなあと。

そういえば、こんなこともありました。

我が家の次男が小学1年生だった頃のこと。

次男のクラスは、たまたまやんちゃくんが多く、
担任の先生が若くて経験が浅かったことも
あったのか、ちょっとしたトラブルも
大ごとになってしまうようなクラスでした。
そのため、多くの保護者が
「あのクラスは荒れている」と噂していました。

ある時、保護者の懇談会がありました。

クラスでの出来事が話題になり、先生は
「自分は経験が浅いので、いろいろ不慣れで
申し訳ない。保護者の皆さんは
ご兄弟のクラスも見ているので、
いろいろと教えてもらいたい」
とおっしゃいました。

そこで、私は「みんなで先生を助けよう!」
という気持ちになり、
長男のクラスで行われていた
給食の牛乳乾杯イベントがとてもよかった
という話などをしました。
周りのお母さんたちも、
こういうのはどうだ? というアイデアを
出していました。
先生も「参考になります!」と
メモを取っておられ、
私は近くにいたお母さんたちと
「いい懇談会だったね」と話しました。

ところがです。

数日後に、ほかのクラスのママ友から
「1年1組の懇談会、荒れたらしいね」
と言われたのです。
「先生に文句言うお母さんいたらしいね」と。

私は「あ、それ私だわ、きっと」と言って笑い、
「文句じゃないよ、アイデア出したんだよ」
とさらっと言ったのですが、ちょっと気まずい雰囲気に。

その時も私は思いました。
「いろいろと意見を出し合う場」は
私にとっては「楽しい場」ですが、
同じ場を「ケンカしている場」
と取る人もいる。
私が「楽しい」と感じるのは、
これまで私が経験してきた
「意見を出し合う場」が「楽しかった」からで、
「ケンカ」と取る人は
意見を出し合うことが嫌な経験として
インプットされているんだなと。

なぜこうした過去のエピソードを
お話ししているかというと、
先日、組織開発のコンサルティングを行う
熊平美香さんという方が書いた
『リフレクション 自分とチームの成長を
加速させる内省の技術』という本を読んだから。
本の中で紹介されていた
「メタ認知の4点セット」が
大変興味深かったからです。

熊平さんによると、
メタ認知の4点セットとは

「意見」「経験」「感情」「価値観」の4つ。

事実や経験に対する判断や意見を
上記の4つに分類して捉えると、
俯瞰しやすくなるというものです。

もう少し詳しく言うと、

意見:あなたの意見は何か

経験:その意見の背景には、どのような経験や、経験を通して得た知識があるか

感情:その経験には、どのような感情が紐づいているか

価値観:意見、経験、感情を俯瞰して、あなたが大切にしていることは何か

という整理の仕方をするようです。

例えば、犬に対する「好き」「嫌い」
という認知について考えると、

Aさんは
意見:犬が好き
経験:昔から犬を飼っている
感情:喜び・安心
価値観:犬はかわいくて、癒しをくれる

かもしれませんが、
Bさんは、

意見:犬が嫌い
経験:犬に噛まれて怪我をしたことがある
感情:恐怖
価値観:犬は近づくと危ない動物

かもしれない。

つまり、同じものを見たり聞いたりしても、
経験と、その経験から得た感情が違えば、
まったく違う受け取り方になる。

どちらが正しいとか
間違っているということではありません。

そんな状態で、
「犬はかわいいにきまってるでしょ」
「いやいや犬は怖い」などと、
意見だけにフォーカスした会話をしても、
意味がないのです。

私たちは、仕事でもプライベートでも、
意見や価値観が違う人たちと一緒に
物事を進めることがよくあります。

時に、自分の考えにはない、
理解できない意見や考えに触れ、
混乱することもありますよね。

でも
「全然理解できない。
どうしてそんな考えなのかわからん」
と考えてしまったらそれで終了。

そんな時、ご紹介した認知の4点セットで
整理して考えられれば、
自分の思考が整理できるし、
相手の状況も落ち着いて見られる。
そうすれば、意見がぶつかる中でも、
対話の糸口が見つかるかもしれないと
感じました。

さて、あっという間に5月が終わります。
早い。とても早い・・・

ジメジメした日が多くなりますが、
体調に気をつけてまいりましょう。

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以前どこかのインタビューで
YOASOBIのボーカル、幾多りらが
「歌うときは、なるべく細かい音符で
理解する」というようなことを
言っていました。

2019年に大ヒットした
『夜に駆ける』のレコーディングのことを
言っていたと記憶しています。

テンポが速い。言葉も多い。転調も多くて、
息継ぎのタイミングも難しい。
とにかく歌うのが難しい曲だったそう。
少しもずれられないので、
音符を細かく刻んで、
音を捉えたというようなことでした。

一拍の中の細かな音符を捉える。

たとえば、いーち、にーい、さーん、しーい
の中に、それぞれ4拍捉える。
いちにさんし、にいにさんし、
さんにさんし、しいにさんし 
みたいなことだと思います
(文字で書くと難しいですね。
理解していたただけたでしょうか)。

これを読んだとき、すごく納得しました。

実は私、大昔にダンスをしていたのですが、
キレキレなダンサーは
すごく細かく音を捉えて、
その細かい音にも動きを合わせている。
大雑把に音を捉えると、
動きも大雑把になってしまい、
間延びしてしまうんですよね。

私はできませんでしたが、
キレッキレで緩急あるダンスをする人は
音を細かく捉えるのがうまいなあと
思っていました。

音楽では音ですが、この「細かく捉える」と
上達するというのは、いろいろなジャンルで
言えることだと思います。

たとえば、スポーツ。

テニスでラケットを構えるとき、
いちで体の正面でラケットを構え、
にで足とラケット引いて、
さんで打つという動きがありますよね。

あれを、いーち、にーい、さーん
とやるのか、
いちにっさん、にいにっさん、
さんにっさん で捉えるのかで、
やることが変わると思うのです。

細かく捉えると、
そのタイミングで体がどこにあるのか、
腕がどこにあるのか、
重心がどこにあるのかまで
意識することができる。
そうすると、修正していける
ということだと思います。

そしてこれ、仕事でも言えますね。

たとえば制作の仕事で言うと、

学生向けに
企業の採用パンフレットをつくる

と捉えるのか、

その企業をほとんど知らない
理系の学生向けに、
ストーリー仕立ての
採用パンフレットを
ウェブ閲覧用につくる

というところまで捉えるかでは、
やることが全然違ってきます。

細かく捉えようとすると、
疑問がわき、確認事項が発生する。

それを一つひとつ確認していくことで、
精度が高くなっていくのだと思います。

さて、あっという間にGW前半が終わりました。

お休みされている皆さんも
お仕事をしている皆さんも
どうぞ体調に気をつけてお過ごしください。

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「怒られたことがないし、
自分も怒ったことがない。
怒るってどういうふうにやるんですか?」

と、昔、職場のスタッフに聞かれて、
驚いたことがあります。

雑談で私が子どもの話をしたときだったように
記憶していますが、
真面目に質問をされたことを覚えています。

「怒ってはいけない」という言葉は、
子育てをしているとよく耳にする言葉です。

ママ友との会話でも昔はよく
「ムカっときたけど、こらえた」
「ムカっときそうになったけど
ほかのことを考えて抑えた」
というようなエピソードを聞きました。

この2つ、同じようでいて違います。
前者は、怒りの感情は認めたけど、
怒りを外に出さなかった。
後者は、怒りの感情自体をないものとした。
専門家ではないので、私の感覚ですが、
何となく後者は不健康な感じがします。

ここで、思い出すのが、10年ほど前に公された
『インサイド・ヘッド』という映画。
ピクサーが制作したアニメです。

あることがきっかけで、
主人公の頭の中から「カナシミ」の感情が
いなくなってしまい、
その状況を「ヨロコビ」が
コントロールしようとするが、
うまくできなくて・・・
というストーリー(だったように記憶)。

でも「カナシミ」も「ヨロコビ」も含めて、
すべての感情が集まって
その子をつくっているのだから、
感情を無視するのではなく、
素直に受け入れて、上手につきあっていこう
というメッセージだったと思います。

当時、小学生男子の子育て中だった私は、
日々、いろいろな感情と戦っていたんでしょうか(笑)、
「そうだ、そうだ」と頷きながら、
映画館を後にしたのを覚えています。


さて、近年、ハーバード大学の
意思決定センター(Harvard Dicision Science Lab)
というところが、感情を以下の12種類に分類して
研究を進めているそうです。

ネガティブ感情
・怒り
・イライラ
・悲しみ
・恥
・罪
・不安(恐怖)

ポジティブ感情
・幸せ
・誇り
・安心
・感謝
・希望
・驚き


こうして一覧で見てみると、
自分自身が感じがちな感情と
そうでないものがわかりますね。
最近の自分の行動を振り返って、
あれは自分としてはどんな感情だったのかを
あらためて考えるきっかけにもなりそうです。

で、さらに別の資料なのですが、
いくつかの感情について、
それらが起こるときに、何に注意が向いているかが
書かれているものを見つけました。
これ、すごく興味深いです。


不安
→わからないことに注意が向く

恐怖
→手に負えないことに注意が向く

悲しみ
→無いことに注意が向く

怒り
→大切なものがおびやかされることに注意が向く

喜び
→獲得したことに注意が向く

安らぎ
→満たされていることに注意が向く

参考:鈴木伸一(2016)不安の医学 
第23回 都民講演会より


例えば、怒りを感じたとき、
感情をコントロールするためには、
何に怒りを感じているのかを
冷静に考えるのだと思いますが、
大切なものをおびやかされることに
注意が向いていることがわかれば、
自分にとって今、どんな大切なことが
おびやかされようとしているのか
と考えることができる。
大切だと思っていることを
再認識することにもなります。

私は毎晩のように、
我が家の猫に夜中に起こされていますが、
一晩のうちに何度も起こされると
さすがにムカっときます。

でも、これ、何を大切に思っているか
という発想で考えると、「睡眠」だとわかる。
私はぐっすり眠りたいのだと。
猫はしょうがないのです。夜行性ですし。
2匹いるので盛り上がることもある、と思える。

猫対策という発想から、
睡眠をどうするかという発想になります。
とてもすっきりします
(いやいや、それじゃだめだろ
という気もしますが)。

感情と向き合うこと、
私もまだまだ勉強中ですが、
特定の感情を無視することなく、
これからも、うまくつきあっていきたいと思います!

さて、あっという間に4月。
新社会人かな?と思われるスーツ姿の若者も
目立ちますね。
皆さん、体調に気をつけてまいりましょう!

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よく目にする言葉で、前から違和感を感じている言い回しがいくつかあります。

一つは「ほめられレシピ」「ほめられコーデ」などの「ほめられほにゃらら」。

二つ目は「愛されメイク」などの「愛されほにゃらら」

まだありそうですが、すぐ浮かぶのはこの二つです。

何が違和感かというと、単純に、「~したい」じゃなく「~されたい」なの?
相手の行動ありきでいいの?と思うのです。
~されるかどうかは自分でコントロールできないことだからです。



自分ではものすごくおいしい料理ができたと思っても、相手からほめられないことだってありますし、

バッチリメイクできたと思っても愛されないときだってあります 笑。

相手の行動がゴールだと、相手の反応が期待と違ったときにガッカリしたり、イライラしたりすると思うのです。


「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」

このことわざを知ったのは、アドラー心理学を解説した『嫌われる勇気』を読んだ10年ほど前。

当時、私は、反抗期に突入した長男の言動や行動に日々頭を抱えていたのですが

この言葉そしてアドラー心理学を知って、とてもすっきりしました。



相手を無理やり変えることはできない。私ができることはここまで。ここからは「他者の課題だ」とわかったからです。

その『嫌われる勇気』、今本棚から引っ張り出してきました。

「あなたの期待や信頼に対して、他者がどう動くかは他者の課題なのです」とあります。

そう。そうなんです。
「ほめられる」か「愛されるか」。そこは他者の課題なのです。



せっかくおいしい料理をつくったのに、ほめられなくてガッカリするなんて残念なので、

自分自身が「うわ、これ、最高においしい!」と、おいしく食べられればいいのではないでしょうか。

相手が「すごいねえ」「最高」と言ってくれなくても。

「いや、そんなに深く考えることじゃないんじゃないですか?」

「 みんなそこまで考えずに普通に使ってますよ」ということかもしれません。

確かに、こうした相手の行動ありきの言葉、結構使われていますよね。

「モテメイク」とか「モテコーデ」なんかもそれですね。

なんでしょう。流行り?

深く考えないで使っているとしても、こういう言い回しの言葉が普通にメディアにバーンと出てくるのは、むむ?と思います。

引っかかるポイントは、他人軸以外にもあります。

それは、何となく上下関係というか、強弱関係を感じることです。

とくに、「ほめる」「ほめられる」には感じますね・・・。

育成でもよく使う言葉なので、見慣れた言葉ではありますが。

いや、叱って伸ばした方がいいと言ってるわけではないんです。

なんというか、ナチュラルじゃない感じがするんですよね。考えすぎでしょうかね 笑。

職場で「今週のほめられ仕事はコレ」とか「~~部長の必殺ほめトーク」とか、そういうの、いやですよね。
あ、ここまでおもしろかったらいいかもしれませんが 笑。

というわけで、他人の行動を自分のアクションのゴールにすると辛いのでは?という話でした。

基本的に、自分ハッピーがいいですよね、何事も。

春ですね。花粉シーズンがまだまだ続きますが、負けずにまいりましょう(涙)。

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昔、友人の一人に「本がきらい」という人がいました。
聞くと、本屋に行くと毎回トイレに行きたくなってしまい、

本屋に入ったのにトイレにいる時間のほうが長くなるからいやなのだとか。

「本アレルギーかも」と言っていました。

ところがある日、彼女が「この本、良かった」と言って本を持ってきました。

知り合いに貸してもらったとのことで、すごくおもしろかった、と。

当時、彼女はルームメイトで、私たちはお互いの仕事以外の時間は結構一緒に過ごしていましたが

彼女が「きらい」と言っている本を手にしているところは見たことがなかったので驚きました。

「あれ?本苦手じゃなかったの?」と私が言うと、「あ、ほんとだ。これは大丈夫だった」と彼女。
「じゃ、本がきらいじゃなくて、本屋がきらいなだけだったのかな」 と笑って、おすすめポイントを熱心に話してくれました。

女性のエッセイだったと記憶していますが、楽しく話したことをなんとなく覚えています。

最近、このエピソードを思い出したのは、ビジネス誌の記事で、マーケターの森岡毅氏が、

自分の好き・強みを知るには動詞に注目しようと語っているのを目にしたからです。

森岡氏は、単に「好き」で終わらせていると、自分が具体的に何が好きなのかがわからず、

何が強みなのかを正確に把握できないと話していました。

だから、例えば「好きなことはサッカー」と言う人は、サッカーの何が好きなのか、動詞に注目することで考えよう、と。

サッカーを「観る」のが好きなのか、「プレーする」のが好きなのか、

それとも「戦術を考える」のが好きなのか。 それを知ると、自分自身の理解も深まっていくというようなことでした。


これ、「きらい」の場合も一緒だなと思い、友人のエピソードを思い出したのです。

友人は本はきらいと思い込んでいて、本を避けていましたが、ふとしたきっかけで、

きらいなのは本じゃなくて本屋だったことに気づいた。

本当は、「本屋がきらい」「トイレに行きたくなる」「本がきらい」という時点で、

「それ、本がきらいということではないのでは? そもそも本屋に行くとトイレに行きたくなるってどういうことなんだろうねえ」と二人で考えれば早く気づいたのかもしれませんが、

若い私たちは(笑)、「なんだ、それ!」と笑ってスルーしてしまっていたのでした。

そんなことよりも楽しいことがたくさんあったのでしょうねえ。

ちなみにですね、実は10年以上前にもこのエピソードを思い出すきっかけがあって

ネットで調べたら、「本屋でトイレに行きたくなる」という人は少なくないということがわかりました。

諸説あるようですが、どうやらインクの匂いでトイレに行きたくなってしまう人が多いよう。

そう考えると、本屋が苦手なのではなく、インクが苦手なのでは。

いや苦手というより、インクの匂いを嗅ぐとトイレに行きたくなるから、

トイレがたくさんある本屋なら、本屋も本もインクもきらいではないのでは、

などと思い、ああ当時の彼女に教えたい、、と思いました。

そうそう、「好き」「きらい」は、表面だけさらっと触れているだけでは、わからないという話でした。
もっと奥に真相があるのです。

友人の件は「本がきらい」でしたが、「本が好き」の場合も同じですね。

だれかが「本が好きです」と言っているのを聞いたら、

通常、「ああ、あの人は読書が好きなんだな」と思いますが、そうじゃない「本好き」もいますよね。

例えば、「本というアイテムが好き」な人。紙の質感や表紙のデザインなんかを見ているのがすごく好き。

だから本屋は好きだけど、本を読むかというとそうでもない人。

「本屋という空間が好き」という人もいるかもしれません。本自体というより、本がある場の雰囲気が好きな人。

「本が好き」の奥にいろいろあるのに、

そこを見ようとしないと「本が好き」というぼんやりした理解で終わってしまうことになります。

「好き」「きらい」以外でも、例えば「楽しい」や「悲しい」「うれしい」「すごい」なども同様。

前述した森岡氏が言うように、動詞に注目したり、

「WHY」を深掘って、奥にあるものを見つけられると、

「あ、そこがポイントだったの?」など、意外な発見があるかもしれません。

あっという間に3月。気温差が激しい季節ですね。体調に気をつけてお過ごしください。

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