情景、浮かんでいますか?
先日、次男と夕食をとっているとき、ふと思いついて
本を朗読で聴けるサービス「オーディブル」で
『吾輩は猫である』を聴いてみました。
この作品にした理由は、単に我が家に猫がいるので、
興味を持ちやすいかなと思ったからです。
さて、テレビを観ながらだと食事の手が止まりがちな次男ですが、
オーディブルでは......さらに手が止まりました。
そして私も手が止まりました。聴き入ってしまうからです。
興味を持って聴くと、「ながら」はできないのだなあと改めて思いました。
さらに気づいたことがあります。
興味を持って聴くと、頭の中にその情景がクリアに浮かびます。
本を読んでいるときも浮かびますが、
聴いているとより映像が鮮明になるような気がしました。
食事を終えた私は、
聴いて頭に浮かんだ情景の絵を描こうと次男に提案しました。
絵と言っても、そのへんの裏紙にササッと描く程度のものを想像しています。
説明すると次男、「いいよ! 楽しそう! でも次回ね!」。
......そんなわけで、まだトライできていないのですが、
どんなシーンをどんな絵にするのか? 楽しみが増えました。
精神科医の名越康文氏いわく、「聴く」というのは
とても意識的で、創造的なものなのだそうです。
自分の住む世界から、いわば異世界に入ること。
たとえば、行ったこともないハワイを思い浮かべないといけない、
やったことのない趣味の世界を思い浮かべなくてはならない。
想像力が必要になります。
さらに名越氏は、心の余裕、つまり愛が求められると言っています。
相手の話に、自分の心の扉を開いて、
「何を言うのだろう?」という関心を持って耳を傾ける。
また、これには優しさと同時に勇気がいる、
境界線を越えるジャンプがいると説明しています。
確かに、じっくり聴くと異世界に入ることができます。
『吾輩は猫である』を聴いているときは、
池のほとりにちょこんと佇む猫の姿がはっきりと浮かびました。
そこからゆっくりと動き出す様子も、普段猫を見ているせいか、
クリアに思い浮かべることができました。
人の話を聴くときもそうですね。その場に自分も立っていると想像し、
音や匂いまでも感じた話は深くインプットされます。
そうやって聴いた話はその後もずっと覚えています。
聴くというのはそれだけエネルギーがいる行為。
実は、伝えるよりも大変なことかもしれないと思えてきました。
ある調査によると、人の話を聴くときに気をつけることで
一番多かったのは「相槌を打つ」、次が「相手の目を見る」でした。
こうした、相手から見て話をしっかり聞いているように振る舞うことは
確かに大事なことですが、本当の意味で聴けていなければ意味がないですよね。
みなさんは最近どんな話を「聴き」ましたか?