「私は考えている」を示す
先日、ネットでこんな動画をみました。
自分の何十倍もある大きさの牛に囲まれた鳥。
牛たちは追い払おうと、じりじりと鳥に接近。
そこで、一頭がぐんと前へ。
でも、鳥は逃げるどころか、クチバシで勢いよく牛の頭を突き、
牛は怯んで後退。
その後も鳥は近づいてくる牛を次々とクチバシで追い払い、
とうとう牛の群れは退散していく。
私の頭に浮かんだのは、
"Size doesn't matter."
というヨーダの言葉です。
さらに、先日読んだ、人生相談のことも思い出しました。
アエラ・ドットの人生相談コーナー。
相談者は25歳の女性で、悩みの内容はこうでした。
「私は、人に言い返すということを敢えてしていない。
何を言っても相手は変わらないだろうと思うから。
それに、結果の出ない議論は怒りで自分を消耗するだけ。
でも、言い返さないから、
なんでも言われてしまい、サンドバッグ状態。
さすがに何も感じない訳ではないので、
不快感を外に出さないよう必死。
現状を何とかしたいという気持ちもあるが、
どうすればいいのかわからない」
つまり、先ほどの鳥と正反対。
戦わない選択をしているというわけです。
この相談者にアドバイスを送るのは、劇作家の鴻上尚史氏。
鴻上氏は、こう言っています。
「伝えても、相手は変わらない、と言うが、
それは言ってみないとわからない」
「たとえ相手が変わらなかったとしても、
それはもしかしたら、相手が頑固だとか、
こちらを無視しているわけではなく、
相手に別の信念があったり、
違うビジネスのビジョンを持っていたり、
大切なことの順番が違うから、かもしれない」
「結果、相手が変わらないとしても、
こちらが思っていることは伝えた方がいい。
なぜなら、自分には意見がある、ということをアピールできるから」
「意見がない、意思がない、何も考えていない人だと思われないために、
自分の考えは外に出す。
そうすれば、相手も、ああこの人は考えているんだ、とわかる。
それはとても大切だ」
そうだなあ、と思いました。
とはいえ、
議論は気が重いから好きではない、という人、少なくないと思います。
その場の空気を平和に保ちたい。
だから、言いたいことを飲み込んでしまうこともあるかもしれません。
でも、やはり、それをずっと続けていると、
鴻上氏が言うように、周りの人から
「どうせあの人は何も言わない。意見がないから」
と、思われるようになってしまいます。
それに、言いたいことを引っ込めた時に感じる
「悔しい」という感情を無視し続けていると、
自分の感情に鈍感になってしまう。
自分が怒っているのか、悲しいのか、よくわからなくなったら辛いです。
怒りや悔しさを感じないなんて、仏みたいで最高!
という考えもあるかもしれません。
実際、相談者の女性は、そうなりたいと書いていました。
でも、社会で人と生きていくには、
それではやはり困るのではないかと思います。
相手を変えるためではなく、「考えている」ことを示すため、
自分の考えはきちんと表に出す。大切だなと思いました。