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「書くこと」と「料理すること」の土台

書くということは、考えること、思うことの
ほんの先っぽにある小さな部分で、
大部分は考えること、感じることに支えられている。


24日まで行われていた
『向田邦子没後40周年特別イベント』にて
上映されていた映像の中で、
向田さんが黒柳徹子さんに
そんなことを語っていたそうです。


語っていたそうです、
という言い方をしているのは、
私、このイベントに行きそびれたからです。
いや、行かなかったからです。
ものすごく後悔しております。
向田邦子作品の大ファンなのに。
職場の目と鼻の先で開催されていたのに。


開催を知ったのは最終日だったものの
終了まであと数時間あったから、行こうと思えば行けたのに。
「急ぎでやることあるしなあ」などと言いながら
行かなかったのです。
終了時間が過ぎてから、ものすごく後悔しました。
こういう後悔、体によくないとわかりました。
次は、行きたいところには、多少無理しても行こうと思います。


すみません。話が逸れました。


書くことはほんの先っぽ。
大部分は考えることや感じることに支えられている、
という向田さんの話についてです。


これを読んで思い出しました。
向田さんのエッセイ『字のないはがき』が
絵本になったとき、文章を担当した
作家の角田光代さんが、インタビューでこんなことを語っていたのです。


「向田さんの文章は視覚的に記憶できる」


まるで自分で見たことのように映像で記憶しているから、
向田さん自身、書くときに映像がしっかりあったのでは、
というようなことを言っていました。


なるほどなあと思ったのです。
考えること、感じることが土台にどっしりとあるから、
その先にある言葉や描写が映像的なんだろうなあと。
逆に言うと、考えること、感じることがしっかりないと、
それを読む人が映像を思い浮かべることは
難しいんだろうなあ、と思いました。


料理研究家の土井義晴さんが
政治学者の中島岳志さんとの対談集『料理と利他』の中で、
「ええ加減」というのは、自分で考えることだ、
と言っています。


幼い頃、やんちゃだった土井さんに
おばあちゃんが「ええ加減にしないさい」と
よく言ったそうなのですが、
それは、「やったらあかん」ということではなくて、
いい加減を学びなさいよ、ということだったと、
土井さんは話しています。
それは料理も一緒だと言うのです。
レシピなんて気にしなくていい。
いい加減を自分で知る。
考えて、感じながら、加減を知ることが大事だ、と。


書くことも、料理することも、
考えること、感じることの先にある。
そう捉えると、すごく興味深いなあと思いました。


あっという間に1月が終わっていきます。
今週もすてきな1週間を。

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