「負けました」の力
少し前に、テレビで
『羽生善治~天才棋士 50歳の苦闘~』
という番組を観ました。
番組中、羽生さんは何度も
「負けました」という言葉をつぶやき、
対戦相手に深々と礼をして
対局の会場を去っていきました。
私は、全く将棋に明るくないのですが、
羽生さんが天才だ、という認識は
ミーハー程度に持っています。
羽生さんの著書『決断力』も読みました。
勝機は誰にでも必ず訪れることや、
勝つためには周りからの信頼が
大事だということなどを知り、
当時、小学生で地元のサッカーチームに
所属していた次男に、
「いい? だれにでも勝つチャンスは
訪れるよ!」
と、わかったようなことを言って、
嫌がられたりしていました。
私にとって羽生さんは、
天才で、勝つ人、でした。
なので、先日の番組内の羽生さんの姿は
衝撃的でした。
会場を後にする後ろ姿を
ずっとカメラが追っているのも、
何だか嫌でした。
考えてみると、自ら「負け」を
宣言しなくてはならない勝負というのは
残酷です。屈辱的だと思います。
スポーツの勝負で考えたら、ありえない。
何度も少年サッカーを出して恐縮ですが、
そんなことしなくちゃいけないルールに
なったら、みんな泣き喚くと思います。
しかも、将棋には「感想戦」があるのですね。
負けた後、対戦相手と一局を振り返って、
自分がどうやって負けたのかを検証する。
これでもかと「負け」を突きつけられます。
さて、日本将棋連盟のサイトを見ていたら、
こんなことが書いてありました。
「負けを宣言することで、自分の弱さを認め、
その自分に打ち勝ち、努力して成長していく」
将棋を始めたばかりの子どもは、
悔しさのあまり、泣いてしまって
負けを宣言できないそうです。
そういうとき、周りの大人は
「負けることは恥じゃないよ。
負ければ負けるほど、強くなるよ」と
声をかけるのだそうです。
実際、負けを宣言することで、
負けた自分を受け入れ、
なぜ負けたのかを検証して弱点を見つけ、
努力しなければ、次に勝つことができない。
それを身をもって体験するのだと
書いてありました。
そうかあ。
これは、すべてのことに通じますね。
仕事でも勉強でも、うまくいかなかったとき、
自分の現在地を認めて、分析できないと、
どこに向かって努力すればいいのかわからない。
闇雲に頑張っても、成長につながらない。
思考が切り替わるきっかけが
「負けました」の宣言なのかもしれないですね。
そういう目で番組を振り返ると、
負けた羽生さんの後ろ姿を見るのも、
そんなにつらくないような気がしてきました。
むしろ、次!次!と思っていらっしゃるかも。
(いや、ご本人はめちゃくちゃ悔しくて、
そんなことはないでしょうが)
羽生さん、番組内で、こう言っていました。
「将棋は、手付かずのところがたくさんある。
未開拓の部分、未知の部分がある。
そこに何があるのか、知りたい」
そして、あの藤井聡太さんについてこんなことも。
「藤井さんの将棋から多くを学んでいきたい」
いやあ、かっこいい! そう思いました。
感動したので、また、次男に言っちゃいそう・・・
5月もあと少しで終わり。
頑張ってまいりましょう。