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ドカンこと宮藤官九郎氏が脚本を担当しているドラマ『不適切にもほどがある!』を楽しんで視聴しています。


昭和の中学の体育教師がふとしたことで令和時代にタイムスリップしてしまったら価値観がまったく違って・・・というような話ですが、
社会課題をおもしろおかしく、クドカンならではのトーンで風刺していて、笑いながらも、いろいろと考えてしまう内容です。

我が家の次男が何かと「これだから昭和は」と言ってくることは、このメルマガでも何度か書いているのですが、彼らにとって昭和はどうやらかなり大昔の印象らしいのです。
家の電話しかない、パソコンがない、もちろんインターネットもない。どうやって暮らしていたの?と。

そんな感覚なので、トトロに出てくるようなハンドルをぐるぐる回して通話する電話を私が子ども時代に使っていたと思っていて、 あれはどうやって話すの?と聞いてきたので、さすがにあれほど昔じゃないから使ったことがないと伝えても、ピンときていない。

彼らにとって昭和は昭和。昭和は大昔。まったく違う世界。そこで生きてきた人たちは考え方が全然違う。わからん。大袈裟に言うと、そういう感覚なのかもしれません。

冒頭でふれたクドカンのドラマにこんなシーンがありました。

令和時代にタイムスリップした体育教師が居酒屋に入り、デジタル注文にてこずって炙りシメサバを大量注文。ロボットによって続々とテーブルに届けられ、途方に暮れる彼の横で、真剣な表情でハラスメントの話をしているビジネスマンたち。後輩にハラスメントを訴えられたという男性が、上司たちに何があったのか、何を言ったのかをヒアリングされています。

男性「頑張れと言いました」
上司「それがハラスメントなんです」
男性「頑張れ、も言っちゃいけないんですか?」
話に加わってきた体育教師「じゃ、なんて言えばいいの?」
上司「何も言わない。見守るんです」

正確なセリフではありませんが、そんな展開。
その後、それはおかしいだろうと会話が続くわけですが、私が確かにそうだなあと納得したのは、

「話し合いをしよう。たとえわかり合えなくても、話し合いをしたという履歴は残る」というセリフでした。

昭和と令和の価値観が違い過ぎる。昭和から見ると令和は「うそでしょ?」だし、令和から見ると昭和は「冗談でしょ?漫画?」くらい違う。

そんなに違うんだから、わかり合えるはずがないと思っていたら、お互いがどう感じているか、いつまでたってもまったくわからないということになります。わかり合うというところまで到達しなくても、お互いが自分の考えを言うのはやはり大事だなと思いました。

そんなふうに思って世の中を見渡すと、昭和と令和という構図に限らず、「どうせ、わからんでしょ」と放置していることはたくさんあるのかもしれません。一方的に思い込んでいることがないか、あらためて考えてみようと思いました。

2月もどんどん過ぎていきます。花粉の季節・・・。体調に気をつけてまいりましょう。

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