昔、友人の一人に「本がきらい」という人がいました。
聞くと、本屋に行くと毎回トイレに行きたくなってしまい、
本屋に入ったのにトイレにいる時間のほうが長くなるからいやなのだとか。
「本アレルギーかも」と言っていました。
ところがある日、彼女が「この本、良かった」と言って本を持ってきました。
知り合いに貸してもらったとのことで、すごくおもしろかった、と。
当時、彼女はルームメイトで、私たちはお互いの仕事以外の時間は結構一緒に過ごしていましたが、
彼女が「きらい」と言っている本を手にしているところは見たことがなかったので驚きました。
「あれ?本苦手じゃなかったの?」と私が言うと、「あ、ほんとだ。これは大丈夫だった」と彼女。
「じゃ、本がきらいじゃなくて、本屋がきらいなだけだったのかな」 と笑って、おすすめポイントを熱心に話してくれました。
女性のエッセイだったと記憶していますが、楽しく話したことをなんとなく覚えています。
最近、このエピソードを思い出したのは、ビジネス誌の記事で、マーケターの森岡毅氏が、
自分の好き・強みを知るには動詞に注目しようと語っているのを目にしたからです。
森岡氏は、単に「好き」で終わらせていると、自分が具体的に何が好きなのかがわからず、
何が強みなのかを正確に把握できないと話していました。
だから、例えば「好きなことはサッカー」と言う人は、サッカーの何が好きなのか、動詞に注目することで考えよう、と。
サッカーを「観る」のが好きなのか、「プレーする」のが好きなのか、
それとも「戦術を考える」のが好きなのか。 それを知ると、自分自身の理解も深まっていくというようなことでした。
これ、「きらい」の場合も一緒だなと思い、友人のエピソードを思い出したのです。
友人は本はきらいと思い込んでいて、本を避けていましたが、ふとしたきっかけで、
きらいなのは本じゃなくて本屋だったことに気づいた。
本当は、「本屋がきらい」「トイレに行きたくなる」「本がきらい」という時点で、
「それ、本がきらいということではないのでは? そもそも本屋に行くとトイレに行きたくなるってどういうことなんだろうねえ」と二人で考えれば早く気づいたのかもしれませんが、
若い私たちは(笑)、「なんだ、それ!」と笑ってスルーしてしまっていたのでした。
そんなことよりも楽しいことがたくさんあったのでしょうねえ。
ちなみにですね、実は10年以上前にもこのエピソードを思い出すきっかけがあって、
ネットで調べたら、「本屋でトイレに行きたくなる」という人は少なくないということがわかりました。
諸説あるようですが、どうやらインクの匂いでトイレに行きたくなってしまう人が多いよう。
そう考えると、本屋が苦手なのではなく、インクが苦手なのでは。
いや苦手というより、インクの匂いを嗅ぐとトイレに行きたくなるから、
トイレがたくさんある本屋なら、本屋も本もインクもきらいではないのでは、
などと思い、ああ当時の彼女に教えたい、、と思いました。
そうそう、「好き」「きらい」は、表面だけさらっと触れているだけでは、わからないという話でした。
もっと奥に真相があるのです。
友人の件は「本がきらい」でしたが、「本が好き」の場合も同じですね。
だれかが「本が好きです」と言っているのを聞いたら、
通常、「ああ、あの人は読書が好きなんだな」と思いますが、そうじゃない「本好き」もいますよね。
例えば、「本というアイテムが好き」な人。紙の質感や表紙のデザインなんかを見ているのがすごく好き。
だから本屋は好きだけど、本を読むかというとそうでもない人。
「本屋という空間が好き」という人もいるかもしれません。本自体というより、本がある場の雰囲気が好きな人。
「本が好き」の奥にいろいろあるのに、
そこを見ようとしないと「本が好き」というぼんやりした理解で終わってしまうことになります。
「好き」「きらい」以外でも、例えば「楽しい」や「悲しい」「うれしい」「すごい」なども同様。
前述した森岡氏が言うように、動詞に注目したり、
「WHY」を深掘って、奥にあるものを見つけられると、
「あ、そこがポイントだったの?」など、意外な発見があるかもしれません。
あっという間に3月。気温差が激しい季節ですね。体調に気をつけてお過ごしください。