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『コミュニケーション』カテゴリの記事

 

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同じ話を聞いたのに、
人と捉え方が異なっていて、驚いた。
そんな経験はないでしょうか。
かなり前の話ですが、当時、
当社でアルバイトをしていた大学生が
こんな話をしてくれました。

「先週、内定者の飲み会があったんです。
ひどかったんですよ、みんな結構飲むから、
つぶれる人が出ちゃって。
僕も結構飲んだんですけど、
なんか介抱する役になっちゃって、大変で」

何日か経って、
その話を一緒に聞いていたスタッフと
雑談をしていたら、
彼女がこんなことを言いました。

「そういえば、先日のアルバイトくんの話、
ひどい話でしたね。かわいそうですよね。
せっかくの集まりなのに。
ひどい飲み会ってあるんですね。
信じられません」

私は、ちょっと驚きました。
というのは、私はアルバイトくんの話を
「なんだかんだ、楽しかった
若者の飲み会エピソード」
として聞いていたからです。

今は、おそらくそんなことはないのでしょうが、
私の学生時代や会社の新人時代の
大人数での飲み会を思い起こすと、
大抵だれかが飲みすぎてつぶれていました。

そういうものだったので、
アルバイトくんの話を聞いた私は

「若いと飲みすぎちゃうよね。
そういうものだよね。楽しそう。
ああ若いっていいね」

くらいの感想でした。

なので、あの話を「ひどい話」として聞いて
いた人がいたんだとびっくりしたのです。

「え、あれ、なんだかんだ楽しかった、
っていう話じゃないの?」と言うと、
彼女は目を丸くして
「えええ?」と驚いていました。

彼女は私より少し下くらいの年齢で、
世代が違うというほどでもありません。
ですが、よく聞いてみると、彼女は、
飲みすぎてつぶれるような飲み会に
参加したことがないということでした。
そんなに大勢で飲んだこともない、と。
「経験したことはないけど、
誰かが飲みすぎてつぶれるなんて、
楽しいわけないじゃないですか」と。

なるほど。そりゃ、そうだ。

この時、私は思ったのです。
同じ話を聞いても「楽しい話」にも
「信じられないくらいひどい話」にも
なるんだなあ。それは聞く側が
どんな経験をしてきたかによるのだなあと。

そういえば、こんなこともありました。

我が家の次男が小学1年生だった頃のこと。

次男のクラスは、たまたまやんちゃくんが多く、
担任の先生が若くて経験が浅かったことも
あったのか、ちょっとしたトラブルも
大ごとになってしまうようなクラスでした。
そのため、多くの保護者が
「あのクラスは荒れている」と噂していました。

ある時、保護者の懇談会がありました。

クラスでの出来事が話題になり、先生は
「自分は経験が浅いので、いろいろ不慣れで
申し訳ない。保護者の皆さんは
ご兄弟のクラスも見ているので、
いろいろと教えてもらいたい」
とおっしゃいました。

そこで、私は「みんなで先生を助けよう!」
という気持ちになり、
長男のクラスで行われていた
給食の牛乳乾杯イベントがとてもよかった
という話などをしました。
周りのお母さんたちも、
こういうのはどうだ? というアイデアを
出していました。
先生も「参考になります!」と
メモを取っておられ、
私は近くにいたお母さんたちと
「いい懇談会だったね」と話しました。

ところがです。

数日後に、ほかのクラスのママ友から
「1年1組の懇談会、荒れたらしいね」
と言われたのです。
「先生に文句言うお母さんいたらしいね」と。

私は「あ、それ私だわ、きっと」と言って笑い、
「文句じゃないよ、アイデア出したんだよ」
とさらっと言ったのですが、ちょっと気まずい雰囲気に。

その時も私は思いました。
「いろいろと意見を出し合う場」は
私にとっては「楽しい場」ですが、
同じ場を「ケンカしている場」
と取る人もいる。
私が「楽しい」と感じるのは、
これまで私が経験してきた
「意見を出し合う場」が「楽しかった」からで、
「ケンカ」と取る人は
意見を出し合うことが嫌な経験として
インプットされているんだなと。

なぜこうした過去のエピソードを
お話ししているかというと、
先日、組織開発のコンサルティングを行う
熊平美香さんという方が書いた
『リフレクション 自分とチームの成長を
加速させる内省の技術』という本を読んだから。
本の中で紹介されていた
「メタ認知の4点セット」が
大変興味深かったからです。

熊平さんによると、
メタ認知の4点セットとは

「意見」「経験」「感情」「価値観」の4つ。

事実や経験に対する判断や意見を
上記の4つに分類して捉えると、
俯瞰しやすくなるというものです。

もう少し詳しく言うと、

意見:あなたの意見は何か

経験:その意見の背景には、どのような経験や、経験を通して得た知識があるか

感情:その経験には、どのような感情が紐づいているか

価値観:意見、経験、感情を俯瞰して、あなたが大切にしていることは何か

という整理の仕方をするようです。

例えば、犬に対する「好き」「嫌い」
という認知について考えると、

Aさんは
意見:犬が好き
経験:昔から犬を飼っている
感情:喜び・安心
価値観:犬はかわいくて、癒しをくれる

かもしれませんが、
Bさんは、

意見:犬が嫌い
経験:犬に噛まれて怪我をしたことがある
感情:恐怖
価値観:犬は近づくと危ない動物

かもしれない。

つまり、同じものを見たり聞いたりしても、
経験と、その経験から得た感情が違えば、
まったく違う受け取り方になる。

どちらが正しいとか
間違っているということではありません。

そんな状態で、
「犬はかわいいにきまってるでしょ」
「いやいや犬は怖い」などと、
意見だけにフォーカスした会話をしても、
意味がないのです。

私たちは、仕事でもプライベートでも、
意見や価値観が違う人たちと一緒に
物事を進めることがよくあります。

時に、自分の考えにはない、
理解できない意見や考えに触れ、
混乱することもありますよね。

でも
「全然理解できない。
どうしてそんな考えなのかわからん」
と考えてしまったらそれで終了。

そんな時、ご紹介した認知の4点セットで
整理して考えられれば、
自分の思考が整理できるし、
相手の状況も落ち着いて見られる。
そうすれば、意見がぶつかる中でも、
対話の糸口が見つかるかもしれないと
感じました。

さて、あっという間に5月が終わります。
早い。とても早い・・・

ジメジメした日が多くなりますが、
体調に気をつけてまいりましょう。

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ドカンこと宮藤官九郎氏が脚本を担当しているドラマ『不適切にもほどがある!』を楽しんで視聴しています。


昭和の中学の体育教師がふとしたことで令和時代にタイムスリップしてしまったら価値観がまったく違って・・・というような話ですが、
社会課題をおもしろおかしく、クドカンならではのトーンで風刺していて、笑いながらも、いろいろと考えてしまう内容です。

我が家の次男が何かと「これだから昭和は」と言ってくることは、このメルマガでも何度か書いているのですが、彼らにとって昭和はどうやらかなり大昔の印象らしいのです。
家の電話しかない、パソコンがない、もちろんインターネットもない。どうやって暮らしていたの?と。

そんな感覚なので、トトロに出てくるようなハンドルをぐるぐる回して通話する電話を私が子ども時代に使っていたと思っていて、 あれはどうやって話すの?と聞いてきたので、さすがにあれほど昔じゃないから使ったことがないと伝えても、ピンときていない。

彼らにとって昭和は昭和。昭和は大昔。まったく違う世界。そこで生きてきた人たちは考え方が全然違う。わからん。大袈裟に言うと、そういう感覚なのかもしれません。

冒頭でふれたクドカンのドラマにこんなシーンがありました。

令和時代にタイムスリップした体育教師が居酒屋に入り、デジタル注文にてこずって炙りシメサバを大量注文。ロボットによって続々とテーブルに届けられ、途方に暮れる彼の横で、真剣な表情でハラスメントの話をしているビジネスマンたち。後輩にハラスメントを訴えられたという男性が、上司たちに何があったのか、何を言ったのかをヒアリングされています。

男性「頑張れと言いました」
上司「それがハラスメントなんです」
男性「頑張れ、も言っちゃいけないんですか?」
話に加わってきた体育教師「じゃ、なんて言えばいいの?」
上司「何も言わない。見守るんです」

正確なセリフではありませんが、そんな展開。
その後、それはおかしいだろうと会話が続くわけですが、私が確かにそうだなあと納得したのは、

「話し合いをしよう。たとえわかり合えなくても、話し合いをしたという履歴は残る」というセリフでした。

昭和と令和の価値観が違い過ぎる。昭和から見ると令和は「うそでしょ?」だし、令和から見ると昭和は「冗談でしょ?漫画?」くらい違う。

そんなに違うんだから、わかり合えるはずがないと思っていたら、お互いがどう感じているか、いつまでたってもまったくわからないということになります。わかり合うというところまで到達しなくても、お互いが自分の考えを言うのはやはり大事だなと思いました。

そんなふうに思って世の中を見渡すと、昭和と令和という構図に限らず、「どうせ、わからんでしょ」と放置していることはたくさんあるのかもしれません。一方的に思い込んでいることがないか、あらためて考えてみようと思いました。

2月もどんどん過ぎていきます。花粉の季節・・・。体調に気をつけてまいりましょう。

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先週末、近所の高校の文化祭に行ってきました。

軽音部に所属する次男の演奏を
こっそり聴くため
(来なくていいと言われましたが)、
そして、近所の子どもたちの
成長ぶりを見るためです(親戚目線)。

さて、文化祭で半日くらい過ごして、
改めて気づいたことがあります。
それは、「魅せるって簡単にできることじゃない」
ということです。

たとえば、軽音部のライブ。

次男のバンドもそうでしたが、1年生のライブは、
とりあえず一生懸命やってみます、という感じ。
一人ひとりは頑張って演奏しているのですが、
バンドとしてはイマイチまとまっていない印象。
観客が入れ替わっていないのに、
突然演奏を始めてみたり、
変なタイミングで突然曲名を叫んでしまい、
観客が「あ・・イ、イエーイ」となったり。
とにかく自分の演奏のことで頭がいっぱいの様子で、
それが何とも微笑ましく、見守っていました。

ところが、これが2、3年生になると、
出てくるんですねえ、魅せるボーカルがいる、
カリスマバンドが。

ライブのとりを務めていたので、
3年生の、それも一番うまいバンドなんでしょう。

そのバンドの演奏を聴くために
教室に集まったのはほぼ男子生徒。

ボーカルの男子がマイクの前に立ち、
「こんにちは。きょうは・・・曲、変更します」

ザワザワ。

「リクエスト多かった・・・あれ、やります」

おおおー(ザワザワがエスカレート)。

「○○○○(曲名)!」

ヴォォォォォォォォォーー!
(会場熱狂。とともに演奏始まる)

パンク調の曲だったので、
観客の男子生徒、総ジャンプ。
カリスマ発見!と思いました。

後から振り返ってみると、
もちろんボーカルの声も良かったし、
バンドもうまかったのですが、何より、
彼は魅せ方を知っていたなあと思いました。
立ち方、歌い方、そして絶妙にタメをつくるMC。
あれは、自分視点だけではなく、観客視点が
ないとできないことだと気づきました。
どう見せると、観客が盛り上がるか、
観客目線で自分を見ることができている。

私たちは、普段の仕事の中で、
お客様、エンドユーザー、社内のメンバー、
協力会社など、さまざまな他者の視点に
立つ必要があります。
相手によって求めていることが異なりますから、
相手視点に立って、どうすれば伝わるか、
コミュニケーションの方法を
変えていかなくてはなりません。
そうした他者を意識する土台みたいなものが、
高校生の終わりくらいから
築かれていくのかもしれないと思いました。

エリクソンという心理学者が提唱した
「ライフサイクル論」という理論があります。
発達段階を8つに分け、それぞれの段階での
発達課題とそれに相対する葛藤「心理社会的危機」を示したものです。
(参照:https://39mag.benesse.ne.jp/kosodate/learning/content/?id=113347

これによると、13~22歳頃は青年期にあたり、
発達課題は「アイデンティティの確立」、
心理社会的危機は「役割の混乱」です。

「自分は何者?」「存在意義は?」
といった疑問を持ち、さまざまな体験から
「これが私なんだ」というアイデンティティを
確立する時期。これがうまくいかないと、
「自分の役割」がわからなくなり、
混乱してしまうのだそうです。

ちなみに、同理論によると、青年期の次は
22~40歳頃の成人期。
ここでの課題は「親密性」、危機は「孤独」。
友だちや同僚、人生のパートナーなど、
他者と関係を構築するステージです。

つまり、他者を意識して関係を構築するのは、
発達理論的には成人期に入ってから。
高校生が自分視点でいっぱいなのは
考えてみれば当然か。
むしろ、あのカリスマボーカルは高3にしては
珍しいのだなあ(ますますカリスマだ)と
改めて感じました。

と同時に、こんなことも思いました。
アイデンティティの確立ができていないと、
他者視点を得ることも、他者との関係構築も
難しいのだ、と。

アイデンティティの確立ってどういう状態?
と思いますが、「自分はこういう人。これでいい」
と思えることというのが私の解釈。
自分で自分を認めるということでしょうか。

そのためには、これまた個人的解釈ですが、
とにかくやりたいと思ったことをどんどん
やってみることが必要なのではないでしょうか。
ベクトルを100%自分に向ける時期を過ごす。
どっぷり浸かることが重要だと感じます。
自分のことがわからないまま、
他者の視点に立ったり、関係を構築するのは、
かなり難しいことですから。

朝晩、少し涼しくなりましたね。
今週も残り、体調に気をつけてまいりましょう。

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先週末、地域の夏祭りの手伝いをしました。

自治会のイベント担当が力を合わせ、
生ビールと焼きそばを提供した2日間。
私は、ひたすら焼きそばをパック詰めしました。
だんだんとリズム良く、うまく詰められるように
なるのが楽しくて、一緒にパック詰めしていた
同じマンションの人たちと掛け声をかけながら、
暑い中でもノリノリで作業できました。

地域の行事に参加する一番の楽しみは、
やはり住人との雑談です。

私が住むマンションは、周囲に自然が多いこと、
小中学校が近いことから子育て世代が多く、
我が家の子どもたちが小学生だった頃は、
マンション中、子どもだらけと言っていいほどでした。
今は子どもが独立した世帯が多くなりましたが、
それでも新たに入居してきた子育て世代もいて、
学校の登下校時には子どもたちの
元気な声が響いています。
なので、自治会の行事に参加すると、
20代と思われる人から70代、80代くらいまで、
全世代が集合します。

お祭りの準備をしながら雑談をすると、
いろいろな情報が飛び交います。

このあたりで初夏にカブトムシが見つけられる場所、
学校のPTA事情、街の拓ストーリー、
迷い猫情報、タヌキ出現情報、さらに、
働く人たちのリモートワーク事情など。

保護者としては、子育てや学校の情報を入手する
チャンスですし、働く立場で考えると、
ある意味、異業種交流会のような場でもありますから、
役立つ情報が入手できます。

Shirabeeが2020年に、
全国の10代から60代の男女1789人に行った
インターネット調査によると、
「雑談が苦手」とした人は44.4%でした。

年代別にみると、苦手度が一番高かったのは、
20代男性。「友だちとはいくらでも雑談できるが、
初対面や目上の人には何を話していいか
わからない」という声が紹介されていました。

友だちと延々と話せるのは、
話題に共通項があることと、
すでにノリが共有できているからだと思うのですが、
雑談のパターンがその一つだけだから
困るのでしょうね、おそらく。
共通項がない場合の雑談の機会が
単純に少ないのかなと想像します。

その点、地域行事へ参加すると
世代をこえて会話ができますし、なんといっても、
独特なジョークも含めた、いろいろなパターンの
会話にふれることができます。

昔は、お正月に親戚が大勢集まる場所に行って、
酔っ払ったおじさんのあまりおもしろくない(笑)
ジョークを聞いたり、おばさんたちのおしゃべり
を聞いたりする機会があったので、
自然と、いろいろな人との会話のパターンが
身についたのだと思うのですが、
今はそんなチャンス、滅多にありません。

地域行事、とくに夏祭りのような行事は
オープンな雰囲気の中、
明るく、適度に酔った人たちと会話できる場。
ああ、こうやって話しかけるんだなとか、
こんな冗談が飛び交うんだな、
ということを知ったり、
その冗談を他の人がどうあしらうのかを
見たりできる大変いい機会です。

そういえば、我が地域の夏祭りは
現金ではなく金券での販売だったのですが、
焼きそばの販売を手伝っていた
20代と思われる住人女性が、
買いに来たおそらく70代の男性の
「金券はないかもしれないけど、
銀券は持っているかもなあ」のジョークに対応できず、
「銀券ですか・・・。あの・・・金券を
買ってきていただけますか?」と言い、
「金券が金色だともっとわかりやすいけどねえ」
にさらに混乱し、
とうとう男性が「ぼく、冗談を言っています」と
打ち明けるシーンを目撃しました。

その後、「冗談だったんですね」と笑い合って
ハッピーに終わったようでしたが、
来年以降も引き続き行事に参加すれば、そのうち
「銀券ならあります」
「じゃ、銀券でいっちゃいましょうか!」
くらいのやりとりになるのかもしれません。
場数って大事ですね。

こうして考えてみると、
リモートワークが多くなって、雑談が減った今、
何気ない、なんでもない会話をする機会が
すごく少なくなっているように思います。
地域行事は、運営側の負担がありますので
催は簡単ではないですが、
住民同士が協力し合って、さまざまな世代が参加し、
会話する機会を増やせればいいなと思いました。

まだまだ暑いですが、
日が暮れるのが早くなりました。
秋がそこまで来ていますね。
体調に気をつけてまいりましょう。

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先日、テレビをつけたら、ニュース番組で
安住紳一郎アナと脚本家の三谷幸喜さんが
会話していました。

いつも思いますが、安住アナの
対応力・反応力はすばらしい。
「うまいなあ」と呟いてしまいます。

この日は、「夏休みに入ると
アウトドアで過ごすことが多くなるから
危険生物に注意しよう」
というテーマで展されていて、
安住アナはフリップを見せながら
「クラゲに刺されるとPGAという物質が
体内に入る。納豆にはPGAが多く含まれるから、
クラゲに刺された人は納豆アレルギーに
なりやすい。そして納豆アレルギーを持つ
サーファーが多いというデータがある」
ということを説明していました。

すると、すかさず
「ぼくはどちらかというと
サーファーアレルギーです」と三谷氏。
安住アナは落ち着いてフリップを置き、
三谷氏に体を向けてこう言いました。
「ほお、おもしろそうな話ですね」。

いや、この切り返し。やっぱり、うまい。

三谷氏のポジションは、以前はたけし氏でした。
たけし氏との生放送でのやりとりは
アナウンサーにとって相当ハードルが高そう。
しかし何かのインタビューで安住アナは、
「台本があって予定通りに進む番組が多い中、
たけしさんとのやりとりは予定通りに行かない。
それが刺激になっている。
視聴者も楽しんでいるのではないか」
と語っていました。

むしろ何が起きるのか楽しみ、という姿勢。
変化球をどこから投げ込まれるのか
ワクワクというところでしょうか。

安住アナの会話のコツ、
どこかに書かれてないのかな。
気になってネットを検索していたら、本を発見。
齋藤孝氏と安住アナの共著『話すチカラ』。
早速、読んでみました。

この本、安住アナが相当勉強していることが
わかる内容でした。当然ですが、プロだなあと。
アナウンサーという仕事に誇りを持って、
話し方、情報のインプット・アウトプットの仕方、
声の調整など、基本をしっかり行い、
日々自分に厳しいダメ出しをしながら
対応力を磨いていることがわかりました。

アスリートでも音楽家でも、
トップにいる人たちは基礎をおろそかにしない。
当たり前のように基本を繰り返し、
その上で、プラスのトレーニングをする。
そういうことだよなあ。

さて、コツの話でした。
変化球に対するズバリのコツは
書かれていませんでしたが、紹介されていた
大事な基本の話し方からいくつかお伝えします。

一つは、「15秒以内で話す」。
人の集中力は15秒も持たないらしく、
15秒以上同じ話をしないのが鉄則なのだとか。

もし30秒あったら、15秒が2セットあると
考えて話題を展するのだそうです。
45秒であれば「序破急」の3分割。
60秒だと「起承転結」の4分割で組み立てる。

これはびっくり。初めて聞きました。
15秒なんてあっという間なのに思いましたが、
よく考えてみると、15秒ってそんなに短くない。
だから15秒以上同じ話をするということは、
「えー、そうですね、あれは昨日でしたか、
あれ、一昨日だったかな、車で出かけたんですけど・・・」
みたいな、まどろっこしいことになります。
なるほど、15秒を意識すると、
何か説明するときもいいテンポになりそうです。

もう一つ。「語尾に曖昧な言葉を使わない」
「~と思います」と話を曖昧にする語尾に
要注意とのこと。

たとえば、リポーターが食べるロケで
「では~を食べてみたいと思います」
と言うシーン、よく見ます。
でも「思います」はその人の心の動きであって、
あなたの心の動きはいいから、
さっさとリポートして思うと安住アナ。
さらに、責任の所在も曖昧になると。

電車のホームでは「ドアが閉まります」という
アナウンスが流れるのが通常ですが、
独自の哲学がある京急電鉄は
「ドアを閉めます」と言うのだそうで、
そこには、「私の責任でドアを閉めます。
はさまれないように注意してください」という
責任のニュアンスがあると言っています。

ああ、これ。ありますね、あります。
言い切ることに慣れていないのと、
なんとなく柔らかくしたいという意識が
働いてしまう。
相手に何か指摘する際に、配慮から
敢えて使うこともありますね。
ただ、「~と思います」表現は多用していると、
慣れてしまう。そのうち、意識もしなくなる。
普段から、場の状況をしっかり把握し、
自分が使う言葉にもっと意識を向けなくては
と感じました。

最後にもう一つ、
「抽象・具体、ワイド・ナローを意識」。

話をするときには、ときに具体的に、ナローに
寄って表現すると、伝わりやすいとのこと。
たとえば、「飛行機で羽田から鹿児島に飛んだ」
よりも、
「羽田空港の13番搭乗口から飛行機で~」
と言えば、具体的なイメージを伝えやすいと。

なるほど。だれかと話していて、
ぐんと引き込まれるときは、
頭の中でシーンをイメージができるからですね。
これは書くときも同じです。
ただ、ずっと詳しい描写を続けるのもしつこい。
使い分けが重要ということでしょう。

長くなってきました。
同書、ほかにもためになるコツが
安住アナ、斎藤先生それぞれの視点で
書かれています。興味のある方はぜひどうぞ。

さあ、来週は8月。暑すぎますね。
体調整えてまいりましょう。

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自分がハンドルを握って車を運転しているときは、
道をしっかり覚えるのに
助手席に乗っていると覚えていないということ、
ないでしょうか。

私はあります。よく、あります。

「こんな道、通ったことある?」
「え? いつも通ってるよ」

自分が運転しないとなると、
途端にお客さま気分になり、全然見ていない(笑)。
なので、助手席に乗っていることが多いルートだと、
道がまったく頭に入っていない。
その後、運転しろと言われても、
どこをどう通ってきた? となります。

これと同じことが起こるのが駐車場。
自分が運転したときは、
「2階のAの23。写真も撮っておこう」
くらい覚える気があるのですが、
家族が運転しているときはちっとも見ていない。
意識してそうしているわけではないんですよ。
ですが、さっさと車から降りて、
買い物に行ってしまう(笑)。
こういうときに家族が駐車位置を忘れると悲惨です。

という話を先日友人にしたら、
「いや、私は心配なので助手席に乗っていても
しっかり見る」
と言っていたので、私の「突然お客さま感覚」は
極端なのかもしれませんが、たぶんこれは、
役割分担意識なのだろうと思います。
リーダーはだれなんだ、っていう。

こう書いていると、
全然協力体制ない人じゃん、私
と思えてきますが(笑)、
ここまで極端ではないとしても、
こういうことは仕事でもあると思うんです。
自分事として主体性を持って取り組んだときは、
視野が広がってさまざまなことを学べたのに、
やらされていると感じるときは学びが少なくて
成長実感がなかった、という経験。
皆さんにもあるのではないでしょうか。

ハーバード・ビジネスレビューの記事に
こんなことが書かれていました。

ビジネスでは、個人、組織の成長のために
「オーナーシップ(当事者意識・自分ごと化)」が
重要だと言われているが、その第一歩は
社員の心理的オーナーシップを高めることだ、と。

心理的オーナーシップというのは、
"アイデアやチームメンバーや製品が
「自分のもの・こと」だという感覚を抱くこと"
だと言います。
それを感じるためには、例えばアイデアを出したり、
何かの名前を決めたり、
オフィスのあるコーナーを
自分の考えで整えたりすることが必要だと。
わかりやすく言うと、
「自分がやった」「自分で決めた」
という感覚を抱くことなのだと思います。

記事には、心理的オーナーシップを強く感じると、
他者に対して協力的になるということが
いくつかの研究でわかった、ともありました。

なるほど、確かにそうですね。
これは自分とは関係がないと思っていると、
自分から動かず、指示を待つ。
でも、少しでも自分と関わりがあることだと感じれば、
主体的に関わるので、協力体制を築こうとする、
ということかもしれません。

ここからわかるのは、
いくら相手に「主体性」や「自律」を求めても、
その相手にとっては、
自分で何も決めていない状態、
つまり心理的オーナーシップがない状態では、
心理的には動きづらいということ。

なるほどなあ、といろいろなことを
振り返ってしまいました。
車の運転も含めて・・・
皆さんはどうでしょうか。
思い当たること、ありますか?

さて、5月が終わります。
早い・・・
気温の変化が激しいですが、
体調を崩さずにまいりましょう。

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「買い物リストに・・・えーと・・・」
「何を追加しますか?」
「コーヒーです。コーヒー追加して」
「コーヒーを買い物リストに追加しました」
「ありがとさん」
「ごめんなさい。わかりませんでした」

私と我が家のアレクサの会話です。

我が家のアレクサは、5~6年ほど前に購入したもの。
主に買い物リストへの追加くらいの使用なので、
ほとんど話しかけることはありません。

世代が前のものだからなのか、
私があまり話かけないことで学習が進んでいないのか
わからないのですが、
会話が少し複雑になると成立しないことがあります。
何かを聞き間違えて、突然音楽を流し始めたり、
全然関係ないことを説明し始めたりもします。

でも私は別に気にならない、というか、
アレクサが質問を勘違いした回答をしたり、
おや?と思う音楽を流したりしても
イライラしたりはしません。
気になるのはむしろ、アレクサがよく
「ごめんなさい」ということです。

私が常にアレクサを叱っているわけじゃないんですよ。
たとえば、アレクサが突然音楽を流し始めたとき、
「アレクサ、もう大丈夫、やめて」と言うと、
あっさり無言でやめてくれることもあるのですが、
「ごめんなさい、よくわかりませんでした」
と返ってくることがあって、
その「ごめんなさい」が気になるのです。

わからなかったんだから
「ごめんなさい」をつけるのは当たり前でしょう、
という意見もあると思うのですが、
わからないくらいで謝らなくていい、って
思ってしまうんですよね。
「ごめんなさい」言い過ぎじゃない?と。

あ、ただ、もしこれが自動運転のAIだったら、
そりゃ、いかんですね。
「ごめんなさい、わかりませんでした」とか言われても、
「おい!」ってなりますね。命がかかっていますから。

そうか。相手をどんな存在としてみているかで
期待する対応が変わるってことですね、これは。

私にとってのアレクサは、私の代わりに
買い物メモを書いてくれる気が利く女性
(女性の声なので)。
キッチンの近くに置いてあるので、
片手にフライパン、片手に菜箸という状況でも、
「買い物リストに、みりん追加しておいて」と言えば
追加してくれる。なんとすばらしい。
うちの息子なんて「あとで、自分でやれば?」
とか言ってきますよ。
ありがたく思っているので、
「ごめんなさい」に違和感を覚えるんですね。

これが、もし、
「私は、あなたを優秀なアシスタントとして
迎え入れました。よろしく頼みます」
と思っていたら、
期待するレベルが高いわけですから、
「わからないじゃないだろう!」
となるかもしれませんよね。
ユーザー的にはこっちのほうが
多いのかもしれません。


いきなり開発目線に立ちますが、
いろんなユーザーがいて、
怒る人も少なくないでしょうから、
うまくいかない状況のときの
アレクサが発するセンテンスに
「ごめんなさい」をつけるのは当然ですね。
そしてこれ、世の中のカスタマーサービスの
マニュアルと一緒ですよね。

私、お客様対応で、
「申し訳ありません」を言われるのも気になります。
いや、全然怒ってないんですけど、と。

たとえば、先日、スーパーの棚から
商品がざざーっと落ちていて、
こりゃ知らせてあげねばならん、と思い知らせたら
「申し訳ありません」と言われ、むむ?と思いました。
私は「財布、落ちましたよ」と同じ感覚だったので。
でも、きっと、
「商品をきれいに陳列していないとは何事だ!」って
怒る人がいるから、「申し訳ありません」って
言うことになっているんでしょうね。
大変だなあ、ほんとに。


いやあ、アレクサなどのAIも含め、
ユーザーへの対応は、
なかなか奥が深いテーマです。
我が家の息子たちを見ていても思いますが、
彼らが望んでいる人間関係は、
私の時代とは違い、ずっとフラット。
ユーザーが相手とどういう関係を築きたいかで、
今後、AIが発する会話や世の中のお客様対応が
変化するのかもしれません。
そう考えると興味深いですね。

個人的には、
AIの人格を選べたらいいなと思います。
仲間モード
反抗期モード とか。どうでしょう。

さて、ゴールデンウィークも終わり、
気づくと5月も2週目が終わる・・・
週末に向けて、元気にまいりましょう!

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位置情報アプリ「Zenly」サービス終了。

そんなニュースを目にしました。

Zenlyとは10代を中心に利用されているアプリで、
フレンドになることで、お互いの位置情報を
共有できるツール。

我が家のZ世代の男子たちも入れていて、
日常生活で欠かせないツールになっているようです。

「友だちに、いつでも位置情報を
知られているなんてイヤじゃない?
プライベートがなくなるんじゃないの?」

そう彼らに聞くと、

「知られたくないときはゴーストモードにできる」
との答え。

「ゴーストモードにしていることはわかるわけでしょ?
それがわかると何か言われないの?」

さらにそう聞いてみると、

「言われるよ。お前昨日何やってたんだよ、とか。
でも、別によくね?」

だそうです。
そんなにいろいろ知られるのはイヤだと私は思いますが、
彼らはむしろ知られたいわけですね。
「ほお」「へえ」の連続です。

彼らが実際にどう使っているかというと、 こんな感じのようです。

「腹減ったなあ、だれかご飯行かないかな。
近くにだれがいるか見てみよう」by長男

「公園にだれがいるか見てみよう。
あ、AとBがいる。行ってみよう」by次男

そう、友だちと遊ぶためのツールなんですね。

ちなみに、大人世代がこのアプリを使用する目的は、
「パートナーを見張る」
「子どもを見張る」などが多いみたいです。
見張りツールです・・・


そんなにいつでも友だちとつながっていたいかねえ。
彼らの「共有感覚」は、私から見るととても不思議です。

たとえば、家で一人で勉強しているのに
LINEをつないでいる。
とくに何か話すわけでもないのです。
でも、ずっと数人の友達と音声をつないでいます。
で、たまーに会話している。

友だちの家に数人で行って、
同じ空間で一緒に勉強している感覚なんでしょうか。
「集中できるの?」と疑問に思いましたが、
音声をつなぎ、一人じゃないと思うことで、
勉強のモチベーションを上げているのかもしれません。

以前、読んだ、Z世代の特徴に関する記事には、

彼らは、生まれたときからデジタルがある
デジタルネイティブなので、
リアルとデジタルをくっきりと分けていないし、
そこに序列もない、というようなことが書かれていました。

確かに、私たち世代は、
リアルありきのデジタル、つまり、
本当はリアルがいいけど、デジタルもいいよね、
のように認識しがちかもしれない。
その感覚が彼らは全然違うんだろうなと思いました。

記事にはこんなことも書かれていました。

Zenlyは、Z世代の「察する」文化、
効率重視のライフスタイルにマッチしている。

「今どこにいる?」
「今何している?」

など、いろいろ質問する必要がなく、
効率的なコミュニケーションができることが
評価されている、と。

それ、なるべく会話したくないってこと? と思ってしまいますが、そうではなくて、
やりとりする必要のない会話はしない、
それは効率という視点でもそうだし、
相手のことを考え、無駄なことを聞かない
ということでもある、ということなんでしょうね。

さて、Zenlyの終了は数ヶ月後らしいです。
類似のアプリはあるでしょうから、
どどーっとユーザーが移動するのでしょうか。
それとも、なければないで
他のコミュニケーション方法を考えるのかな。

いずれにしても、彼らの「共有感覚」は
私から見るととても不思議で新鮮。
これから市場でどんな商品・サービスが
評価されるのか、自分の子どもながら
興味津々で眺めている毎日です。


気がつくと、もう秋。
体調に気をつけてまいりましょう。

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最近、YouTubeで透明水彩の描き方の
動画を視聴しています。
柴崎さんという70代の日本人男性が
講師を務めているチャンネルで、
とても見応えがあります。

何といってもプログラムが良くできています。

たとえば、
超初心者用にわかりやすく解説するコーナー、
視聴者から募った作品に先生がコメントし、
お直しするとしたらココを示すコーナー、
新しい画材を試してみるコーナーなど、
いくつかのコーナーが用意されていて、
視聴者を飽きさせません。

中でも私のお気に入りは、
視聴者から募った作品を
先生がお直しするコーナーです。

ちなみに私は、絵は描いておりません。
なので、自分の作品づくりに生かすとか、
そういう目的はないのですが、
それでもこのコーナーを見てしまうのは、
絵を描くためだけでなく、
ものづくりに共通する学びがあるからです。

先生のもとに届く作品のレベルは
さまざまですが、
比較的上級者レベルのものが多く、
もう直すところないんじゃない?
と思うほどの出来栄えのものもあります。

でも、よく見ると、全面にわたって
同じ調子で描き込まれている作品が
多いことに気づきます。
とても上手なのですが、写真でいうと、
全面にピントが合っている状態です。

先生は、
「これはタイトルがこうだから、
たぶんこの方はこの建物を描きたかったのでしょうね」
というふうに、まず伝えたいものを決め、
構図や明暗、強弱を工夫して、
強めるべきところを強く、
逆に弱くするところを弱めていきます。

建物と同じくらいの面積で描き込まれた空や
地面を大胆にカットした構図にしたり、
明るいところと暗いところ、
細かく描き込むところと省略するところの
差をつけたりといった具合です。

そうして出来上がった絵は、絵全体ではなく、
強くしたところにまず目が行くので、
作品の印象ががらりと変わります。
絵のタイトルの印象も強くなるので、
感情にうったえるものも大きくなります。
なるほどなあと毎回感心してしまいます。

これ、原稿作成も同じなのだと思います。

たとえば、「何を伝えたいか」が
あやふやな状態だと、
いくら小慣れた表現を多用して仕上げても、
「つまり何?」と読んだ人が疑問に思う
原稿になってしまう。

あるいは、インタビューをしたとして、
聞いたことをどんどん入れ込んで仕上げるのも、
一見盛りだくさんではありますが、
メッセージの強い原稿にはなりません。

「何を伝えたいか」をしっかり決めて、
強めるところを強め、
弱めるところは弱める。

絵でも写真でも音楽でも、そして原稿でも、
だれかに伝えることを目的としたものづくりに
重要なことは共通しているんだなと
改めて感じました。

さて、4月も半分終わりました。
気温差が激しい季節ですが、
体調に気をつけてまいりましょう!

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先日、長男の高校の卒業式に参列しました。

高校生活の2/3がコロナ禍だった長男。
修学旅行や学園祭、体育祭など
ほとんどの行事が中止になりましたが、
卒業式は短縮プログラムとはいえ、
保護者参加で開催され、ホッとしました。

親からみると、子どもたちの中高6年間は
本当にあっという間なので、
入学式と卒業式は参加したい!というのが
願いなのです(次男の場合は小学校の卒業式も、
中学校の入学式も保護者の参加は許可されず...)。

さて、卒業式。
胸にコサージュをつけた卒業生が
先生と一緒に入場してくるところ、
名前を呼ばれて立ち上がるところ、
そして晴れやかに会場を後にするところは
やはりジーンときますね。
ヘアスタイルとマスクが同じ子が多く、
途中、長男を見失いましたが、
「みんな、すてきな人生をー!」と胸の中で
叫んでしまいました。

そして、校長先生が良いことをおっしゃった。
要約するとこんなことをお話しになりました。

君たちは、これからいろいろな人たちと
力を合わせていくことになる。
その人たちは、気が合う、
仲が良い友だちとは限らない。
考え方が違う人たちもたくさんいる。
ぶつかることもたくさんあるだろう。
でも、ぶつかったときこそ、
相手の話を聞いてみよう。
すぐに腹を立てたり、こちらの意見を押し通す前に、
相手がどんな考えで言っているのか、
しっかり聞いて、そこから会話してみよう。
いろんな解決方法が考えられるはずだ。

「新しいメッセージだなあ」と思いました。

はっきりは覚えていませんが、
今まで参加してきた卒業式で耳にした挨拶では、
「人とぶつかることもあるだろう」ということには
触れられていたとは思うのですが、
ぶつかったときの対処法に
「相手の話を聞く」とか「会話」は
なかったように思うのです。

ぶつかったときは、
「自分の意見を押し通さない
「社会では思うようにいかないことのほうが
多いのだから」という文脈で、
結局は「忍耐」とか
「我慢強さ」ということのほうが
大切だと言われてきたような気がしています。

なので、ぶつかったときは、
「相手の話を聞こう」という内容は
すごく新しく感じました。
そういう時代なんだなあ。

長男はいわゆるZ世代です。
彼らの特徴は、
「デジタルネイティブ」であること、
そして、「共感力」や
「多様性を受け入れる力」が強いこと
とされています。

LinkedInのグローバル調査によると、
Z世代にあたる入社2年以内の社員の
41%、実習生および学生の60%が
リーダーにもっと共感力を持ってほしいと
感じているそう。

リクルートマネジメントソリューション社が
Z世代の日本の新入社員を対象に行った調査では、
彼らが職場に求めることが
「お互いに個性を尊重しあうこと」
「お互いに助け合うこと」
そして、上司に求めることは
「一人ひとりに丁寧に指導すること」のほか
「相手の意見や考え方に耳を傾けること」
であることが明らかになっています。

彼らが、お互いの話を聞き、
助け合うことが当たり前と思っている
世代なんだなと改めて認識すると、
「なんじゃ、そりゃ」と思った
我が家の子どもたちの過去の言動も
理解できる気がしてきました。

さて、校長先生の話を聞いて、
時代の変化を感じたものの、
広く世界を見渡してみると、争いは尽きません。

相手の話を聞いたり、
会話するということとは程遠い状況に
言葉を失ってしまいます。

偉そうなことは言えませんし、
私も大人として責任はあると思うのですが、
集団と集団になっても、相手の話に耳を傾け、
会話で解決できるような成熟した世界に
早くなってほしいと思いました。

共感力が強く、対話力のある若い世代に
大いに期待したいと思います!

 

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