「日本語をバカにするな」と「気軽に書こう」のバランス
ブログを書き始めて約10カ月。思うこと、葛藤することがあります。
それは、ワタシ自身がもともと信条として、「日本語をバカにするな」と思っていることと無関係ではありません。往々にして日本語は小学生でも書けるので、世間一般では、その奥の深さに目が向けられないのです。どうもないがしろにされているという気がして仕方ありません。そうしたことに反発心を覚えるせいか、文章に向かう時は、「日本語をバカにするな!」(「!」に注目)というような、そんな気概をもって書く責任のようなものを感じてしまいます。紙を単なる文字で埋めることは容易ですけれど、人をうならせる文章はそう簡単に書けるものではないと、自らを常に戒めていきたいと思います。
一方で、ブログというのはもっと気安いものだという思いもあります。ブログを書く都度、「日本語をバカにするな!」と思っていると、ワタシ自身も身構え、どうも息苦しい。そこそこレベルで書けたならヨシとしないと、記事を書くのが億劫になり、更新頻度が落ちます。そうなると、ますますハードルが高くなって、より一層書きにくい心境に陥ります。
それでなくても、文章作法以前に、内容がどうなのか、敢て発信する必要があるだろうかなどという考えも湧いてくるのですから、あまりに神経質な気分に支配されすぎるのもいかがなものかと思っています。
さて、世の中、一見、書けている風な文章でも、実は日本語としての骨格がおかしいという文章は意外にも多いです。ライターから取材を受けて、「原稿をチェックしてください」と言われると、編集権の問題もあり、いったいどこまで修正要望を出すべきか、結構悩みます。プロとして書くなら、もう少し精度というものにこだわりを持ってもらいたいと思うことも少なくありません。
そんな最近の心境から、自分を励ますためのキャッチフレーズを考えました。
「日本語をバカにするな! でも、日本語の書き方でバカにされることを恐れすぎるな!」
おそまつさまでした。