ご存知ですか? せん妄症と認知症
こんにちは、グラスルーツのオノです。
実は、このネタを書くべきかどうか、ずっと迷っていました。あまりにもプライベートなことだからです。でも、世の中で同じようなことで悩んでいる人、困っている人もいるかと思い、書くことにしました。業務に関係ないネタであることは承知していますが、そんなことを顧みず、書かせていただくことにしました。
私の母は75歳なのですが、5月の末に腰椎を骨折し救急車で運ばれ、6月上旬に手術をしました。ここまでなら私にとっても普通の大変さであり、普通の心配事でした。けれど、手術してから1週間ほどして母に認知症のような症状が出てしまったのです。
ここで敢て「認知症の『ような』」と書いたのは、認知症と似たような症状で「せん妄症」というのがあるのを知ったからです。「せん妄」という症状があまりにも認知症と似ているので、私は同じような心配を背負っているほかの方たちに希望を持っていただくためにも、この記事を書こうと思いました。というのは、私の母は2カ月弱の間、そのような状態にありましたが、結論から言えば、元に戻ったからです。
しかし、もし私が「せん妄」という概念を知らなかったなら、その症状が出てまもなく諦めていたような気がします。そして、もし、家族が諦めてしまったなら、母も元に戻れたかどうかわかりません。なので、書きます、せん妄症と認知症がどう違うかについて。
今回、改めてネットのありがたみを痛感しました。たとえば、次の記事をご覧下さい。
健康長寿ネット:術後せん妄 【手術後の急激な錯乱、幻覚、妄想状態】
このサイトの情報にあるように、せん妄症と認知症の決定的な違いは、前者がいつからおかしくなったか日付まで特定できるのに対して、後者はそれができないという点です。母の場合も、手術後、一定の日数の後に突然錯乱を始めました。お見舞いの人が持って来てくださった花を指差し、「分けて食べなさい」と言ったのが、発端でした。それから谷を下るように、母の様子は悪くなる一方で、一時期は私がお見舞いに行っても、遠くの方を見つめて、私の存在にさえ配慮できなくなったのです。その様子の特長としては、
・生きる意欲や他者への関心がまったくない
・自分が病院にいることを忘れてしまう
・食べ物が一人で食べられない
・筆圧がなくなり、文字を忘れ、満足に書けない
といったものでした。しかし、これらは一番悪いときの様子であって、期間にすれば、約3週間前後だったと思います。最悪の状況にあっても、ある部分で覚えているべきことは覚えていましたが、反対に昨日のことは覚えていない日々が続きました。
しかし、そんな最悪の状況が過ぎて、ようやく視線がまともになってはきたのですが、それでも、自分が現在どこにいるかについては、度々わからなくなりました。、しかも、現実にありえないことが当人にとっては「現実に起きたこと」になっていました。「どこそこに行って来た」と語るというのが典型的な例です。私がここで強調したいのは、そこまで行ってしまった人が戻って来られることがあるという事実についてです。
この間、様々な人に同様の事例の話を聞きました。最長の方は1年半でした。母の期間に比べれば、とてつもなく長く、普通なら誰も戻れるとは思わないのではないでしょうか。それでも、戻って来た例があるという事実。家族は、決して希望を失ってはいけないと思いました。
残念ながら、母が入院した病院では、「せん妄」と「認知症」を区別して扱ってくれることがなく、もし病院からの説明だけを鵜呑みにしていたなら、「せん妄」という概念を知ることさえなかったと思います。病院が私たち家族にしてくれたアドバイスといえば、「なるべく面会を増やして、脳に刺激を与えてください」ということだけでした。それも、尋ねたら返って来た回答にすぎず、尋ねていなければ教えてくれていたのかどうか疑問に思います。
母は、手術から2カ月弱で最初の病院からその姉妹病院であるリハビリ病院に転院し、現在はそこにいます。現在の環境が、最初の救急病院とは随分異なることもあり、ストレスが軽減されたためでしょうか、転院して1週間ほどで元に戻りました。
結果的に母は幸運な方だと思います。でも、せん妄という概念を知らずにいたなら、私たちは家族といえども諦めていた可能性がある。「なるべく面会を増やして、脳に刺激を与える」などという努力をしていたかどうかさえ心もとないのです。知らないというのは、悲しいものがあります。
なので、書きました。同じ悩みをお持ちの方へ、きっと直ると信じましょう。それがまずスタートだと思います。希望を無くさなければ、それは、きっと直ります。
個人的な思いとしては、脳のミステリーへの興味が高まりました。認知する/理解するとは何なのか? あまりにも神秘的な経験だったので、脳科学への興味が高まる一方です。認知心理学の本などを手に取ってしまいそう。今後何かの折りに、私が個人的に体験した事例でも役に立ちたいですし、この体験を元に考えたり学んだりしたことを通じても、役に立てるような仕事をしたいと思いました。
以上、週末の病院通いから学んだことです。神様、母を元に戻してくれて、ありがとう!