作り手が感じられるということ(ECサイトの今後)
先日(6/26金)の日経で通販の売上が8兆円強となり、百貨店・コンビニの売上規模を抜いたという記事を読みました。ネット通販の勢いによるものです。自分の行動を振り返っても、なんとなく合点がいきました。今月だけでも、靴、書籍、アクセサリーなどをネットで買っています。
靴は、アマゾンが始めたJavari.jpを使ってみたくて買ったのですが、これは意外にウケそうだという気がしました。普通、靴を通販では買わないと思うじゃないですか? ワタシも最初はそう思いました。でも、「返品無料」「何足でも試せる」と聞くと、話は少し変わってきます。ショップに行って店員さんに色とサイズをお願いして、出してもらって、待たされて、結局は希望の色の希望サイズはなかったりして…というリアル店での買い物よりも、よほど効率がいいからです。Javari.jpのサイトは、Ajax志向で作ってあり、あまりページ遷移せずにサクサク動くので、ECショップの今後の動向として注目すべきです。
話がのっけから横道に逸れてしまいました。今日書きたかったのは、Javariの話題ではありません。先ほど書いた「アクセサリー」のショッピングをしていて感じた時代の変化についてです。
京都の「アトリエ・ラッシュ」というアクセサリー工房から、ピアスを数点まとめて購入しました。偶然見つけたサイトなのですが、デザイナーの感性が気に入って、ちょうどピアスがほしかったこともあって、ガッと購入してしまいました。
でも、ここで感じた良さはJavariで感じたこととはちょっと違います。
そうか、京都の工房なのね。。。
どんな人たちが作っているのかしら。
ああ、女性たちが集まっているアトリエなんだ。。。
そこはかとなく、作り手のぬくもりとプライドが伝わって来るなぁ?。
こんな感じです。
街で歩いていてする買い物の良さは、もちろん、あります。
でも、作り手が感じられる買い物は(最近でこそあるものの)多くはありません。
では、なぜ、作り手が感じられるとうれしいのでしょうか?
正解はわかりませんが、作り手が感じられると、普段よりよけいにそのモノを大切にしたくなります。今の時代のベクトルは、モノを大切にする方向性にあるので、手作り作品というのは自分が粗末に扱わないという自分への確信を得る好材料になっているような気がします。自分がそれを大切に扱う保証になっているのです。それだけで、心が満足します。ワタシたちはみな、大量に作って消費して、捨てることに嫌気がさしているのです。
そしてまた、作り手がわかるということは、会ったこともないその人に、どんな人なのだろうかとか、たとえば京都のアトリエであったなら、京都市内でもどの辺りなのだろうかなど、思いを巡らす楽しみもあります。
同じようなことが、農業の生産者と生活者の間で、すでに始まっているのは、みなさんもご存知の通りです。
でも、ここで注意したいのは、大企業が「この商品、いかがですか? これはこの人が作りました」と言うのと、「私が作りました。売っているのは私です」というのとでは、後者の方が明らかに強いということです。メッセージのチカラが歴然と違います。
大が小に勝るとは限らないからおもしろいネットの世界。これからの動きが楽しみです。