ノミュニケーションで行こう!
昨晩は、当社の一番若手の女性スタッフとサシで飲みにいきました。 このページで紹介した「自分の仕事をつくる」という本を紹介してくれたスタッフです。
一昨晩も、社内で飲みに行ったのに、こう書いてしまうとなんだか飲みにばかり行っているかのようですよね。
(普通ならここでなんらかの言い訳をするところなのでしょうが)、ハイ、飲むのは好きです! でも、飲むのが好きだというのも、間違いではありませんが、ワタシはむしろノミミュニケーションが好きなのだと思います。
コミュニケーションの距離感を決めるは、オフィシャルな場なのか、セミオフィシャルな場なのか、プライベートな場なのか、なのではないでしょうか。社長のワタシが、いくらフランクにモノを言ってくれたらうれしい思ったとしても、世代の違う若い社員から見たら、距離があるのは当然で、社長との会話はオフィシャルな場だと思って構えてしまうのは、まったくもって理解できることです。
それでも、ノミミュニケーションの良いところは、回を重ねるごとに、少しづつ距離感が縮まっていく点です。(と、思っているのは、ワタシだけ?じゃないよ、きっと!)
人にもよるとは思いますが、コミュニケーションのさまたげになる遠慮は、立場の下の人にだけあるのではなく、上の人にもあります。社長でさえ、多かれ少なかれあるのではないでしょうか。
「言いすぎないように」とか、「言わない方がいい」とか、「言うなら今だぞ」などという心理は、何も下の人特有のものではなく、上の立場の人たちも恐らく図っていること。
そして、そんなふうに斟酌していたにもかかわらず、性格が禍して、「言い過ぎてしまった」「言えなかった」というようなことが起きます。オフィシャルな場はもちろん、飲みの場でさえも…。
しかも、最近の傾向としては、「誘いたいけど、誘うのは悪いかな」とそんな遠慮が上司/部下ともにある。上司の場合は、立場が上であるがゆえに、相手が断れないと悪い(押し付けがましい印象は避けたい)と、そんな心理が働くからなのでしょうね。お互いに遠慮してしまうと、会話をする場がなくなっていきます。人は人から刺激を受けて成長するのに、場が減っていくのはもったいないというものです。
ワタシは、立場の下の人から上の人を誘いにくいのであれば、「誘われることはウェルカムだ」というそこはかとないオーラを発信をした方がいいと思いますし、立場が上の人は遠慮せずに誘った方が、何かといいと思います。実際には、ワタシも遠慮したりしていますけど(笑)。
本当に誘われてイヤな人ももちろんいるとは思います。でも、誘われるということは、少なくても嫌われてはいない証ですから、そこに愛があることさえわかれば、それをイヤだと感じる人は少ないはずです。ワタシは、断然うれしいですね、部下から誘われるのは。
「誘われてイヤな人はいないはず」と、そんなふうに自信をもってコミュニケーションすれば、上司部下の断絶も、世代間の断絶も起きずにすむのかもしれません。「誘われるのがキライな人もいる」という脅迫観念、一度断ち切ると、コミュニケーションはもっと豊かになるような気がします。
今日は、金曜日。誰かに「飲みに行かない?」と誘ってみてはいかがでしょうか。