麻生内閣解散とリーダーの意思伝達
おはようございます。小野です。
昨日、麻生内閣が解散しましたね。言うまでもなく、総理大臣といえば、国家の最高責任者であり、リーダーです。
話は飛ぶようですが、たまたま今日、社内のミーティングで来月提出するプレゼンテーションの打ち合わせを行っていました。そのメインテーマは大きく言えば、縦のコミュニケーション、もう少し説明を加えるなら、トップダウンによる意思伝達のあり方と、社員の意識についてでした。言い換えれば、人(社員)にとって「聞いた/読んだ」と「腹に落ちる」は、どう違うのかについてです。トップの意思が、耳や目からただ単に情報として入って来るのと、納得できるレベルにまで達するのとでは、大きな違いがあります。後者の次元に至るには、何が重要なのか、何がネックになりやすいのかと、そんな話をしていました。
こういうとき、グラスルーツの議論では、何かの事例を挙げながら、テーマを深堀していくのが常です。今回も、当社社内のコミュニケーションの事例に始まり、テレビで紹介されていた英才教育の事例、熱血青春映画の事例、共通の知人が語った言葉とその背景に見る事例などを挙げながら、人の心理やコミュニケーションといったものに対して、その本質に迫ろうと「あれは、なぜだろう?」「これは、なぜだろう?」と議論を交わしていきました。
結局、7つぐらいのハードルがあり(いや、8つだったかも。今はメモがないので正確なところは思い出せません)、そのどれかが欠けても、納得はされない。そんな結論に至ったのです。
今回の議論は、元々はクライアントマターでしたが、経営者の私にとって、大変参考になりました。私もトップとして、何か方針を発表したり、経過を伝達したり、当社のリーダーとして日々そういったことに直面しているからです。そして、ある時は「みんなの反応が悪いな」とか、また、ある時は「賛同を得られたような気がする」など、その都度反応を推し量りながら、コミュニケーションを進めたり、軌道修正したりしています。
そして、改めて思ったことは、「言った」「伝えた」と「腹に落ちる」は別のことであるということです。これまでも承知しているつもりではいましたが、「腹に落ちる」ようにすることがどれだけ大変なことをしみじみと実感しました。
麻生さんのやろうとしたことが正しかったかどうかをここで云々するつもりはありませんが、自民党員も、自民党国会議員も、そしてもちろん有権者も、日本のトップの目指すところを理解できなかったように思います。しかも、理解されなかった原因が「目指している内容自体」にあったのか、それを達成するための「方法論」にあったのか、「説明の仕方」にあったのかさえ謎です。そして、その越えられなかった見えないハードルの分析をせずに選挙に突入していく。それでは、国民との間に良い関係が築けるはずはありません。
そんな麻生さんですが、最後に、反省とお詫びを示しました。そこに、まだ救いがあるように思えました。
みなさん、選挙に行きましょう!