問題空間 - 人と人がわかり合うために
今日は初心貫徹。昨日の記事の続きで「問題空間」について書きます。
一昨日、食事をご一緒したイニシアコンサルティングの丹生さん(専門は経営計画などのコンサルティング)との会話で、そもそもどのような脈絡で「問題空間」が話題になったのかは、覚えていません。丹生さん曰く、「問題というのは、問題をどう定義するかによって、理解し合えたり、理解し合えなかったりする。理解し合うには、問題の定義を一致させる必要があるのだが、それにはまず、問題空間を一致させなければならない」。
ワタシも含めて、普通の人は、これだけ聞いてもチンプンカンプンになるだけですが、ここでも丹生さんは素人にもわかるように説明してくれました。
「たとえば、レストラン。お客が食べ残したお皿から、何をどう推論するか。お腹がいっぱいだったと捉える場合と、量が多過ぎたと捉える場合と、味が悪かったのではないかと捉える場合とでは、対策はまったく変わってくる。これが、問題の定義の段階。ところが、問題を定義する段階で、関係者が複数いると、それぞれが背負っているミッションも違えば、目的や目標、目標を達成するまでの時間感覚、コスト感覚がまったく違う。それが一致していないと、そもそも問題の定義がズレていく。各担当者はそれぞれのポジションからその問題を見る。だから、まず、問題を見る場合には、その空間を規定することが必要で、それを『問題空間』と言う」。
つまりは、何が問題か、それをどう解決するか以前に、どのような枠組みの中でその問題を捉えるべきか、先にそれについて議論し、コンセンサスをつくるべきだという考え方だとワタシ自身は受け止めました。一般的に起きがちなのは、議論は平行線のままで結論が出ないという状況です。これは、この話からすると、問題空間が違うから起きるのだろうと思います。
今日、問題を解決したい立場の人と、長期的に解決できればいいという立場の人とでは、問題の捉え方が違うのは当然ですし、売上にコミットしている人の文脈で問題を捉えるのと、顧客満足度にコミットしている人の文脈で問題を捉えるのとでは、物事の見え方がまったく違うのは当然です。
だからこそ、優先事項を擦り合せて「問題空間」(モノサシ)を先に一致させ、その中で議論するというアプローチが必要なのかもしれません。
と、同時に、これは人と人がわかり合うために、お互いの文脈を一致させるプロセスでもあるので、わかり合うべき相手の「意味ネットワーク」(昨日の記事をご参照ください)を理解したり、想像したりすることも、必要なのかもしれません。これは、「言うは易く行うは難し」ですが。
昨日書いた「意味ネットワーク」について、丹生さんからメールが届きました。
「意味ネットワークも単にリンクするだけでなく、『a dog is an animal.』とコンテクスト化?にすることで、『an animal is a dog.』ではない!という区別ができますので、リンク+文脈あるいは文意が大切だということになりますね。(中略)。やはり、isとか、haveとか、という動詞で結びつけることは大切だということが再認識できました」
つまり、文脈、あるいは連想上/意味上の矢印関係が人間の理解においていかに大切か、を示唆されているのでしょう。
さて、ワタシはどの程度、スタッフとわかり合えているのでしょうか。問題空間という視点で、もう一度日常を振り返ってみたいと思います。
丹生さんのブログ「問題空間でほとんどが決まる」へ