20代。惑いの価値
最近、20代の人と話すたびに思うことがあります。本当はキラキラ輝いているのに、案外本人はそれに気づいていないものだな、と。そして、気づいていないからこそ、より一層美しく輝いて見えるのだなー、と。
もちろん、20代であるというだけで、みんながみんな同じわけではありませんが、しばしばそう感じます。
20代…。
いったい、何なのでしょうか。孔子は論語の中で「四十にして惑わず」と書きましたが、20代は惑いのまっただ中。惑っていない方が気持ち悪い。
昨日、「酒井法子容疑者には自分基準の美意識がなかったのだろう」と書きましたが、20代はその形成過程なので、むしろ確たるものがないのは普通のことでしょう。
惑っているのに、なぜか輝いて見えるのは、むしろその葛藤があるからこそだと思います。そんな彼らの葛藤が端で見ているワタシに伝わってくるから、自分の20代の頃を思い出してノスタルジーとして懐かしいし、うらやましくもある。だから輝いて見えるのでしょうね。葛藤って、エネルギー備蓄のようなものですもの。
惑いのまっただ中にいてもいいのが20代。惑ってる場合ではないぞと思わざるを得なくなろのが、その後の大人世代。明るい30代のためには、20代は惑った方がいいのかもしれませんね。
昨日、グラスルーツ卒業生Y君が、本を貸してくれました。スープストックの創業者である遠山正道氏の「スープで、いきます」という本です。彼も20代。良い30代になりそうな気がしました。