女性が社会進出してから、案外歴史がないんですよね?
ワタシが20代の後半から30代のはじめに掛けてクライアントであった方から、かれこれ20年ぶりにお電話をいただき、昨日、再会しました。当時、外資系化粧品会社のエイボン・プロダクツは当社のクライアントのひとつで、私たちグラスルーツは、コーポレートコミュニケーションの一環であった「エイボン女性文化センター」の仕事(エイボン女性年度賞、エイボン・グループサポート、エイボン・タウンコンサートなど)をお手伝いさせていただいたのです。その方は女性なのですが、その後、退職され、現在はナチュラリープラスという企業の広報に携われていました。
その方にお世話になった1990年前後の時代は、男女雇用機会均等法が施行された1985年からまだ数年。なつかしや、「キャリアウーマン」等という言葉が絶頂期だった時代です。因みに、映画「ワーキング・ガール」が公開されたのは、1988年です。
うちの会社のスタッフも含めて、今の20代30代の人たちからは想像もできないと思いますが、女性がまっとうに活躍できるようになってから、まだそれほど長い時間は経っていないのです。
当時は、現在言われるようなIT系ベンチャーはありません。女性が比較的男女格差なく働けたのは、少し極端に言うと、極一部の企業を除いて、マスコミ(特に雑誌)と外資系企業とPR会社ぐらいだと、当時のワタシは思っていました。ワタシは、PR会社の出身なので、PR会社を見る目についていえば、ややバイアスがかかっていたと思いますが。(たまたまワタシが独立前に所属していた会社が、男女格差がない会社だったのか、PR業界全体がそうだったのか、正直よくわかりません)。でも、全体としていえば、まだまだ格差のある時代だったことはまちがいありません。
そんな時代に外資系クライアントの文化に触れ、女性が活躍しているのを見ると、当然、「すごいな」「日本の伝統的企業とは違うな」という感覚を抱きます。そしてまた、「これが当たり前でない日本は変だよなー」とも思ったりしました。
でも、日本の企業、外資系企業という差もさることながら、女性世代間の違いというのもあります。ワタシの世代は狭間にあり、頑張って生きるのと、自然体で生きるのとの間の世代。肩パットが入った80年代ファッションは、「頑張って生きる時代」の象徴のようなものですね。自然体で仕事ができるようになってこそ、男女格差は真になくなったと言えると思うのですが、果たして今はどうなのでしょう?
現在、「ダイバーシティ」という切り口で、再び格差のない社会が標榜されていますが、まだまだ伝統的日本企業は男性中心社会であるのかもしれません。でも、間違いなく進歩はしていますよね。30代の男女間の意識は驚くほど変わっていますもの。とてもニュートラルな関係になっていて、いいことだと思います。
ここから10年の間に、今の30代が社会の中で発言力を高めていくはずです。そこから先どうなるか、それを見るのは楽しみです。
一方で、ワタシが社員に望むのは、自分の会社を社会の常識だと思うな、ということ。自分たちの目盛りが中心なのではなく、クライアントの文化や歴史にリスペクトを払い、それを踏まえて仕事をしよう、ということ。自分軸と世の中軸の両方を持って仕事をしてもらいたいと思います。
さて、今の30代が社会の中で発言力を高めていく頃、ワタシは、日本茶をすすりながら、新聞を読んで、後世の成り行きを見守っているのでしょうね。長生きできるように養生して、見届けたいと思います。