東京、オリンピック落選から考えた「夢と希望」
IOCでの2016年の開催地選挙が終わりました。1回目を通過した東京は、2回目の投票で落選。最終的にリオデジャネイロに決まりましたね。
東京が残った最初の投票。それほど真剣に関心を持っていたわけではなかったのに、正直、少し熱くなりました。そして、残った瞬間、やったー!と思い、興奮したのですが、その後、落ちてしまって、ガックリ。
ワタシは、都の財政などの面からこの話題について論じられるほど、知識に裏付けられた意見は言えませんが、どちらかといえば「地元東京でのオリンピックを見たい」という単純な気持ちはありました。
けれど、そう思っているワタシでさえ、熱狂的に「東京開催」を応援していませんでした(ごめんなさい、トーキョー!)。負けた2都市に比べて、東京は確かに都民が盛り上がっていませんでしたよね。
東京が負けた理由は、「2度目の開催地」であることに加えて、「都民の支持率の低さ」も当然影響したのではないかと思います。支持率は56%だったそうです。支持率80%を越える国に勝てるわけがありませんよね。
では、なぜ東京都民、日本国民の関心は薄かったのでしょうか。この問いに対する答えは、もちろん誰にもわかりません。
今の経済状況では「オリンピックどころじゃない」という見方もあるでしょう。そのぐらい都民は都政に関心がなかったという見方もあるでしょう。あるいは「誰もそんなに単純には夢なんて見ないんだよ」という見方もあるかもしれません。理由は、もちろんほかにもあるかと思います。
でも、仮に「誰もそんなに単純には夢なんて見ないんだよ」というネガティブな空気が都民・国民の間に強いとすると、これはオリンピックの問題だけではありませんね。国力にかかわる問題です。
「誰もそんなに単純には夢なんて見ないんだよ」という意見の人々は、恐らく、現実からモノを考えるタイプの人たちです。それは、まったくもって、現実論として正しいですし、ある意味、反論の余地がありません。でも、現実論はチェック機能としては必要ですが、理想や夢、希望から考えるということも、苦しいときほど、必要ではないかとワタシは思ってしまいます。
いや、この書き方、正しくありません。
「人々」が悪いということではありません。こういった社会心理には、政治も経済も絡んでいます。でも、政治や経済に自分の心持ちを左右されたくないと思いませんか?
夢・理想、希望というものは、時として「地に足がついていない」と思われがちですが、夢・理想、希望は人を駆り立てます。ワタシは、そのチカラを信じます。