セミナーの根幹にあるもの
こんにちは。オノです。
今日は、3月最後の1日です。日本の企業の8割は3月決算だそうですので、期末でお忙しい方も多いのではないでしょうか。ワタシたちの業界も、3月は繁忙期です。それに加えて、セミナーを企画しちゃったもんだから。。。(誰が企画したんだ?? え、ワタシ? というような感じでこのひと月を過ごしました。)
でも、評価はおおむね悪くありません(これは、謙遜気味です)。もちろん、当初の期待値にもよるので、一概にはいえませんが。。。
さて、セミナーとは一見直接関係ない話題なのですが、関係ある気もしますので、最近あった出来事をひとつご紹介します。
ワタシが小学校3?4年生の時に教わった担任の先生から1冊の本が送られてきました。「子どもと算数の授業を楽しもう」(著:西尾恒敬、刊:あけび書房)です。
実は、ワタシ、小学生の頃、あまり器用な子どもではありませんでした。「感想文」を書けと言われても、「写生」しろと言われても、意味がわからないと前に進まないような、そんな子ども。面倒な子どもでした。そのままだと完全に落ちこぼれだったと思うのですが、この先生、意味をズバッと教えてくれました。引き算の意味とか、掛け算の意味までです。掛け算には、単位の概念があるとご存知でしたか? あるいは、この先生、「わかる授業」の前提条件として、理屈だけでなく「イメージでわかる」ということを標榜されていたのだと思います。その重要性は、今でもワタシの中に脈々とあって、クライアント案件はもちろん、社内のスタッフにもそういう伝え方をしていきたいと、いつも思います(そんなに簡単なことではないですが)。
余談ですが。。。
この本の冒頭にこんな授業の事例が書かれていました。「男の子が12人います。女の子が8人います。どっちが何人多いでしょう?」。この問いに、大人はすぐ12マイナス8で4とわかります。でも、子どもは「男から女が引けるか!?」と思ったりするそうです。この無垢な目、考えさせられます。
ワタシ自身、不器用な子どもだったせいか、未だにものごとの「意味」というものを、よく考えてしまいます。そして、意味を考えてきたことで、それが応用力につながってきたという実感があります。
しかし、本をいただいた先生に、「あの当時、意味(物事の本質)を教えていただけて、本当によかった。もし型だけ教わっていたら、ワタシは落ちこぼれでした」とお礼状を送ったところ、「意味と型は対立する概念ではない」と、囲碁になぞらえてお返事をいただきました。確かに、その通りです。先生はいつまでたっても先生です。人生はおもしろい! まだまだ学びは続きますね。
そんなワタシが、セミナーを開催する側に立つのですから、覚える系のセミナーにならないのは当然です。どうしても、考える系のセミナーになります。
ですから、何か即効性を期待してこのセミナーに参加すると期待はずれに終わるような気がします。
セミナーでは、「社内広報とは?」「社内メディアのコンテンツを考える前に、考えるべきこととは?」というような、根っこについて、みなさんと考えていけたらと思います。
最後に、ちょっとセミナーを離れて意見を言えば。。。
一昨日の「カンブリア宮殿」(テレビ東京)は人材論がテーマで、秋田にある国際教養大学が取り上げられていました。国際教養大学は、メジャーな企業が注目して、わざわざ会社説明会に来るほど、確かに素晴らしいコミュニケーション教育を行っていましたが、大学からでは本当は遅いのではないでしょうか。そして、英語教育ももちろん必要ですが、国語力ももっと必要ではないかと感じます。国力にも企業力にも大きな影響のある「教育」。そこに、日本としてのもっと壮大なビジョンや理念が必要だと感じるのはワタシだけでしょうか。