桜新町桜祭り - 気持ちの連鎖の不思議
昨日は、ワタシが住んでいる地元の商店街のお祭りでした。そこで今日は、お祭りというフィルターによる人の気持ちの連鎖について書きます。企業の社内意識統一などを考える上でのヒントがあるような気がするからです。
ワタシが住んでいるのは、田園都市線の桜新町。隣駅である駒沢と用賀に比べるとマイナーですが、八重桜の名所でもあり、長谷川町子美術館があることから「さざえさんの街」とも言われています。毎年、桜の季節になると、駅前通りを交通規制してお祭りが行われます。そして、そのお祭りのメインイベントは、地元在住のチータこと水前寺清子のライブ。水前寺清子といえば、演歌の世界の人。一般に演歌歌手のギャラはとっても高いはずなのですが、どうやら無報酬で出演しているらしいです。
毎年、見に行っていた訳ではありませんが、ここ数年は、水前寺清子のショーを見に行くのが恒例になりつつあります。なぜなら、最初に見た時に、「さすが、プロだな」と感じ入ったこと。たかが商店街のお祭りなのに、「引き受けた以上、ちゃんとパフォーマンスしよう」という思いからなのか、そのサービス精神は脱帽もので、気持ちのよい刺激があるから、ついつい足が向いてしまうのです。
演歌歌手だし、いったいどんな人が観ているのかと客層を観察すると、これまたおもしろい。老若男女集まっているのですよね。チータ世代もいれば、パンク風な髪型の若者もいる。ベビーカーを引いた30代もいれば、サングラスを掛けた外国人もいます。立ち見をする人だかりの中で背伸びをしながら観ていたら、すぐ後ろには20代後半のカップル。「人生はワンツーパンチ!汗かきベソかき歩こうよ?♪ One two? one two♪?」。わー、歌ってるー。ちょっと意外でした。
刺激を得られるパフォーマンスという意味では、そのあとに行われた都立深沢高校の和太鼓の演奏もカッコよかったですねー! ほんと、タダでいいもの見せてもらって、ありがとう!という感じです。エネルギーをもらえたし、若い人たちのすがすがしくも熱い気持ちが伝わって来たし、「あぁ、自分は日本人なんだなー」というようなアイデンティティも感じたし、とても良いものに触れた気がしました。
こういう地元のお祭りはいいものです。何よりこの街がより一層好きになる。
ところで、パフォーマーであった水前寺清子さんと深沢高校の人が同じことを語っていたのが印象的でした。「皆さんからエネルギーをもらえる」と。一方で、観ていたワタシたちも同じように感じる訳です。「元気をもらった」と。どちらも根っこには感謝の気持ちがあるような気がします。パフォーマー側とオーディエンス側のどちらが先なのかはともかく、エネルギーも感謝の気持ちも連鎖するから不思議です。それどころか、その街への愛着も連鎖していくのではないでしょうか。
この話には「パフォーマンス」を通じて見た人たちが感じたことと、パフォーマンスを含む「祭り」を通じて感じたこととの両面があり、両方とも興味深いものがありますが、企業の風土づくりという点では、ワタシたちはもっと祭りの作用というものに注目してもいいのかもしれません。
・多くの人で溢れかえった街の非日常性から高揚感が生まれ、それを共有した人たちの間に街=土地以上の愛着(コミュニティ的な愛着)が生まれる。
・その街で活躍している人、頑張っている人がいることを知ることで、同じ街に住んでいることに愛着と誇りを抱く。
・その祭りが繰り返し行われていれば、伝統になり、その伝統が自慢になる。
これを企業内イベントに置き換えて考えると、学べることがあると思います。そして、そのイベントに対する参加性が高ければ高いほど、参加した人たちの達成感は大きくなりますよね。学生時代の文化祭や体育祭と同じことです。ワタシが卒業した高校は、とてもお祭り好きの高校でしたが、主体的に参加すればするほど、達成感は味わえるし、傍観していれば半減します。当時のワタシ自身は、運動部での練習があったこともあって、主体的に参加するのと、傍観するのの中間ぐらいの立ち位置で参加していました。おもしろいのは、まったくの傍観者であった人でさえも、同じ高校の一員であることには誇りを抱いたりするのです。
祭りを糸口にコミュニティに対する帰属意識が高まる。会社というコミュニティでも、同じようなことはなし得るのだろうと思いました。