「類型」の効用と副作用 & MORE
血液型や星座の話題は、比較的多くの人が好んでする話題です。ワタシも含めて、誰も真剣に信じているわけではないのでしょうが、当たり障りのない話題であると同時に、相手の性格を聞き出す会話の糸口になりやすいので多くの人が話題にするのだと思います。
本来、人は十人十色ですから、性格を類型化するということにどれだけ意味があるのか、疑問はあります。類型に惑わされ過ぎると、固定観念が生まれるからです。が、血液型や星座ではなくても、ユングをはじめとして心理学の分野等でも、これまで様々な性格の類型が語られてきました。
人を型だけででとらえすぎるのは危険がありますが、類型を知ることについて敢てメリットを挙げるなら、自分とは違う性格の人がいるのだという事実に目を向けることができる点です。
いろいろな説での性格の類型。大抵の場合、一利あると思えるかどうかの判断は、自分自身が感じる自分の特徴がその類型のどれかの特徴と近いと思えるかどうかです。
たとえば、ワタシは双子座なのですが、双子座の性格的なキーワードとしてよく出て来るのは、「二面性」とか「コミュニケーション」など。「二面性」という意味では、理性と感性、動と静など、相反する要素が自分の中に共存しているということには同意できるので、まんざら間違っていないように感じてしまいます。
ワタシが最近たまたま接した別の説では、性格というものが6タイプに分けられていました。その分類では、ワタシは直感重視、スピード重視であり、誉め言葉に弱く、筋を通すことが重要、型にはめられるのがキライ、甘えん坊…etc、ならしいです。ある意味、当たっており、「これは、小野真由美の取扱説明書だ」と思ったくらいでした。直感重視、スピード重視という傾向は、安心を大切にしたい人から見ると、それだけで反発したくなる要素のようです。
さて、この中の「誉め言葉に弱い」(誉められたい)というのは誰でも同じです。
話は飛びますが、この週末、学生時代の部活の友だちと箱根に1泊してきました。その時に「家族(特にパートナーに)にありがとうと言っているか」という話題になりました。自分は言われたいけど、自分は言っているかと聞かれると言わないことも多いという声もありました。「ありがとう」という言葉には、ポジティブな連鎖反応を呼び起こす作用があります。皆それはわかっているのに、日常生活の中では流されてしまいがちです。
小学校の3年生だったときに、松浦くんと有原さんという同級生がいました。あるとき、松浦くんが「有原さんって、いつも『ありがとう』って言ってくれる。すごく、気持ちがいいし、エラいよね」とワタシに言いました。有原さんもすごいけれど、10歳の洞察としては、松浦くんもすごいと思います。そして、そのときワタシは「そうか、『ありがとう』には人に対して良い作用があるんだ」と感心し、だからこそこんな大人になった今でもそのときの会話を覚えているのですが、では自分がどのくらい実践できているかというとクエスチョンな面もあります。
「ありがとう」を端折ってしまうのは、「慣れ」や「甘え」が原因なのでしょうね。言わなくてもわかってくれるという信頼関係があると、ついつい甘えてしまうのだろうと思います。でも、実際には人は誰でも誉められたいし、言われて初めて実感できることがあるのも事実です。我が身を振り返ると、ちょっと反省するな。信頼している関係なのだから、わかってくれているだろうと思ってしまうのは、いかん。
話が大分横道に逸れてしまいましたが、多様性に対して寛容になるために、類型は便利な道具です。同じことに遭遇しても、まったく違うことを感じる人、まったく別の道筋で考える人がいるということを認識できるからです。
ただし、一方で私たちが類型に接するときに注意すべきことは、ラベルを貼るように、すべてをそれに当てはめて考えてはいけないということです。そもそも1億人の日本人を4つの血液型、12の星座、6つの性格に分類できるわけはない。効能と副作用の両方を知った上で、類型を服用するのが正しいのだと思います。
そういえば、前回の話題「PM理論」も類型のひとつですね。お取り扱いにはご注意ください(笑)。