「一番じゃなきゃダメですか?」と「レンガを積む男の話」
民主党の事業仕分けで「一番じゃなきゃダメですか?」の発言で注目を集め、今や菅内閣の行政刷新担当相である蓮舫さん。今月16日に、自らの生い立ちや子育て、政治家としての覚悟などを綴った著書「一番じゃなきゃダメですか?」を発売したそうです。「はやぶさ」帰還が成功して、「はやぶさ2」の開発予算はどうなるのでしょうか。2010年度予算案で当初17億円だった概算要求額が、鳩山政権発足後の見直しで5000万円となり、さらに事業仕分けによって3000万円にまで削り込まれましたが、今回の成功で大分ムードが変って来ています。
もともと蓮舫さんのあの発言は、1番であるべき理由を相手に説明させようとしたものなので、現在「一番を目指すの当然」と語っていることが、ワタシは前言撤回だとは思いません。確かに、3000万円ってナニ? 住宅ローンじゃあるまいし、とは思いますが。
さて、「一番じゃなきゃダメですか?」という言葉は、ワタシの中では別のある考えと重なるので、今日はそれについて書きたいと思います。
「一番じゃなきゃダメですか?」という言葉と同じようなことを連想させる言葉に、SMAPが歌う「世界に一つだけの花」(槇原敬之作詞)があります。「ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン」というフレーズに、多くの人はある意味「そうだよなー」と思って、癒されたり、励まされたのではないでしょうか。もちろん、反論として「ある世界でのオンリーワンは結局ナンバーワンになるのでは? 区別することに意味あるの?」という意見もあるようです。
ワタシがここで興味があるのは、「当社は◯◯で1番を目指す」は企業に属する社員にとってモチベーションになるのか、についてです。もちろん、経営的に言えば、デファクトスタンダードはナンバーワンによって作られるので、ナンバーワンのポジションを得ることはとても重要な意味があります。
けれども、「世界に一つだけの花」の歌詞に共感する人たちの価値観は、勝ち負け以外の価値観に共感したのではないでしょうか。その価値観とは、有名な寓話である「レンガを積む男の話」に象徴されるものです。
「レンガを積む男の話」を最初に誰が言い出したのかはわかりません。でも、ネットで、「レンガを積む男」で検索すると、数々のページがヒットします。
多方面から聞く話なので、脚色はいろいろのようですが、あらましは…。
時は中世。とある町の建築現場 で三人の男がレンガを積んでいました。一人ひとりに「何をしているのか?」とたずねると、返って来た答えは、こう。
一人めの男:「見ればわかるだろ、レンガを積んでいるんだよ」
二人めの男:「食うために働いているのさ」
三人めの男:「ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払い、多くの人が救われる。後世に残る町の大聖堂を造っているんだ!」
それぞれの答えは、1)無目的な仕事 2)お金のための仕事 3)社会的使命感のための仕事というような解釈に置き換えられます。
では、「ナンバーワン」は目的になりえるのでしょうか。もちろん「当社は◯◯で1番を目指す」によって、社員が鼓舞されることもあるでしょう。あるいは、ナンバーワンになることがイヤだという人は少ないとは思います。でも、果たしてそれが目的になりえるかといえば、なりえない。会社がナンバーワンになれば…というその先にあることが、人にとっては目的であり、会社がナンバーワンになること自体を働く目的にする人はいないと思います(多分)。
企業がビジョンを社員に語るときの一つのパターンとしての「当社は◯◯で1番を目指す」は、それ自体、否定すべきものではありません。でも、それで終わっていたとしたら、働く人の共感が得られるか疑問です。社会に役立ち、後世に残る大聖堂を造っているというような目的が共有できて初めて人は使命感を持てるのです。
企業がビジョンを「ナンバーワン」という言葉で語るとき、目的を明らかにした上で、「ナンバーワン」は社会への貢献度であるという文脈を加えると共感されるのではないでしょうか。
7月14日にビジョン伝達をテーマにしたセミナーを開催します。ぜひご参加ください。