[2010.09.06]
人が何かを吸収するには年齢は関係ないんですね?ハワイ旅行から
オノです。こんにちは。
上の写真は、美しいハワイの景色のお裾分けです。
あまりエラそうなことは書けませんが、たまには私も親孝行をします。先週は夏休みを使って両親とハワイに行ってきました。これだけ書くとのどかな感じに聞こえますが、高齢な両親を海外に連れ出すのは、ちょっとした覚悟が必要です。言ってみれば添乗員ですから、二人が転んだり,事故にあったりすることなく、無事帰国できてホッとしました。
親と旅行して感じることはたくさんありますが、その中でも自分にとって役立つ刺激がいくつかあります。その代表的な例を紹介しますと。。。
1)歳を取るとどんなことがハードルになるのかがわかる
2)「年寄り時間」にいちいちイライラしないコツがわかる
3)高齢者視点での親の学びを通じて自分も学ぶ
歳を取るとどんなことがハードルになるのかがわかる
やがては自分も歳を取るということに対しては、一定年齢以上になれば、それなりのイメージを持つものです。でも、細部にわたっての実感は伴いません。
たった今まで手に持っていたはずのものが、どこに置いたかわからなくなったり、サービスのしくみや関係性を理解するのに時間がかかったり、方向感覚が弱って地図上の現在地がわからなくなるなど、認知力というものが歴然と衰えてきています。
もちろん体力的なこと、生理的なこと、経済的なことでも、様々なハードルができます。たとえば、昭和一桁世代の私の両親の場合は、長時間歩く体力はなくなっているのに、リゾート的な過ごし方(歩き回らずのんびり過ごす)は性に合わないので、クルマ&ガイドをチャーターしてお金がかかったりするのです。あるいは、スーツケースの鍵を家に忘れて来てしまい、ホテルの人に鍵をこじあけてもらわざるを得なくて、スーツケースを買い替えることになったり。
短い旅行でも様々な出来事が生じます。老いというものを観察することは、自分自身の人生を考える上でも意味のあることだと感じます。
「年寄り時間」にいちいちイライラしないコツがわかる
異世代が会話するとイライラしたり軋轢が生まれるというのは、よくあることです。でも、私は多分普通の人よりもイライラしない方かもしれません。
両親には両親の時間感覚があります。モノがなくなれば、探す時間が必要になるし、予定していなかったスーツケースを買うにも、時間が必要になります。状況ごとに優先すべき事柄が変わりますから、それによって時間が無駄になったと考えても仕方ありません。
また、高齢者が物事を理解するために、多少時間がかかるのは、社会生活のバックグラウンドが違えば当然です。実はこれ、高齢者に限らないのですよね。たとえば違う仕事をしている友だちや、仕事をしていない友だちに、私の仕事を理解してもらうのはとても難しいです。仕事の概念を理解するには、しくみの概念を理解しないとできませんから、しくみを理解するのが難しいのだと思います。
でも、往々にして同世代の会話でイライラしない人も、高齢者と会話するとイライラするものです。
私自身、まったくそうでないと言えばウソになりますが、それでも、あまりイライラしないのは、海外に行けば時差に合わせて時計の針を変えるように、自分の時計を年寄り時間の目盛りに合わせてしまうからだと思います。最初から織り込んでおけば、それほどイライラしないものです。もちろん毎日のことでないからできるのでしょうが。
高齢者視点での親の学びを通じて自分も学ぶ
さて、タイトルに記したように、最後のこれが一番印象に残りました。たとえ高齢といえども、両親は両親なりに、今回の旅行でも何かを発見しているということへの発見です。ポツリと父が言ったのは、「海外のお年寄りは外に出て行く積極性が日本のお年寄りよりも高いように感じる。日本の年寄りは内に籠りがちだけれど、もっとがんばらないといけない」。ホテルのエレベーターで酸素ボンベを付けながら移動していたアメリカ人らしき高齢の女性を目の当たりにしたときの感想です。
この感想がどうだということよりも、いかに体力や認知力が衰えたとしても、何かに触れて、そこから吸収する力、その刺激を咀嚼する力を衰えさせないことはできるのだというのが、私の発見です。そのようなフレッシュな目線は歳をとっても忘れたくないものだと改めて思いました。添乗員旅行を通じて、カラダが弱ろうとも何かを吸収し続ける、そんな姿を学ばせてもらったというところですね。
写真は、オアフ島のハレイワの海岸です。ワイキキと違って、周りにはなにもない素朴で美しいビーチでした。