[2010.09.13]
なぜ今マンガか - 心情を伝えるストーリーのチカラ
こんにちは。オノです。
さて、今日はまもなくリリース予定のサービスについて予告を兼ねてご紹介します。新サービスはストーリーマンガ(劇画)という手法で、理念やビジョン、中期経営計画や会社のルーツを紹介する、というものです。
なぜマンガに着目したのか。考えてみると、あまりロジックでは考えていませんでした。この機会に、少しだけ掘り下げて考えてみたいと思います。
人が何かに感動したり共感するのは、フィクションかノンフィクションかは実はあまり関係ありません。感動・共感には様々な要素が関係していますが、今回強調したいのは、誰かの心情を汲み取ったり、読み取ったりできたときに人は心を動かされる、という点です。そうやって汲み取った心情に応援したくなったり、賛同したいと思えたなら、大抵の場合、少なからず感情移入できるのではないでしょうか。
たとえば、「もしドラ」はドラッカーの著作をネタとしたフィクションです。フィクションとしては稚拙すぎるという手厳しい意見を言う人もいますが、ざっくりベースでいうなら、主人公の心情や行動に共感した人が多かったから、大ヒットとなったのだと思います。
一方で、NHKの「プロジェクトX」、テレビ東京「カンブリア宮殿」などは人を惹き付けるノンフィクションの例でしょう。多少クサい演出があっっても、事実の裏側にある心情というものが常に語られています。
これらが右脳的な理解の上に成り立っているとするなら、もう一つの理解は左脳的な理解になります。心情的なものが排除された事実や情報を、そのまま受け止める場合です。テレビや新聞で伝えられるニュースは、むしろそれが伝え方の基本になっているので、そこに感情移入することはありません。まれに社会面の記事でジワッと何かを感じ取るのは、その事件に巻き込まれた人の心情を受け手が自分の想像力で汲み取るからにほかなりません。
左脳的理解は、ニュース報道に限りません。売上ナンバーワンを謳う広告なども、感情とは別の次元で受け止めていますし、広告の作り手もそれを狙っているはずです。
心情が描かれていると、人はそこに物語を感じ、頭ではなく心で理解をする。これが私の仮説であり、マンガに着目した理由でもあります。パンフレットや資料等による伝達方法の場合、登場人物はいませんから、心情を語るには限界があります。しかし、マンガの場合、登場人物がいる時点で、心情に触れないわけにはいきません。
心情が重要であるのは、何も伝達行動に限ったことではありません。何かをプロデュースしようとする人は、思いを大切にすべきだと語っているのは、この本。
(著:佐々木直彦、刊:日本能率協会マネジメントセンター)
心情を伝える。それは、人と人が心をひとつにする必要があるときの基本の方程式なのかもしれません。