[2011.03.28]
「よけいなお世話?」という考えは捨てよう!
こんにちは。小野です。
皆さんは、「こんなことを言うのはよけいなお世話かな?」と思って、言わなかったり、「いやいや、そんなことはない」と思って言ったり… と、そんな経験ありませんか?
ワタシは、東北関東大震災以降、人/社会の役に立つとは何だろうということについて、今まで以上に考えるようになりました。
そこで今日は、震災から一歩離れて、人の役に立ちたいと思っているにもかかわらず、多くの人が感じる「よけいなお世話?」という気持ちがどこから起こるのだろうという疑問について、皆さんと一緒に考えたいと思います。というのは、この「よけいなお世話?」という気持ちは、「人の役に立つ」という気持ちの真反対とはいわないまでも、足を引っ張る消極的なものだと言えなくもないからです。
人が「よけいなお世話かな?」と思うとき、「あなたが興味があるかわからないし、聞きたいかどうかわからないので」という心理が働いていいます。良く言えば、相手に配慮しようということですから、日本的な美徳なのかもしれません。けれど、それだけではありません。「言っても自分にとって、トクはない」という意を含んでいないでしょうか? 頼まれてもいないことを言うには、そんなリスクがつきまとうのは事実です。
最近、ワタシの周辺で、こんなことがありました。ある前任者がその仕事を引継いだ担当者に意見を言ったのです。社長の発信すべきメッセージについて、今、これこれを発信するのは必須である、と。
では、彼はなぜ「よけいなお世話かな?」と思わずに、電話をしてまで、後任者に意見を言ったのでしょうか。損得勘定だけで言えば、ここで意見を言っても、本人にとってまったく利があるとは思えません。それでも、わざわざ意見を言った。何故でしょうか? それは、やはり使命感だとワタシは思います。あるいは自分の信念と言ってもいいかもしれません。
さて、ワタシの意見です。
被災しなかった人たちは、経済を活性化させることが使命です。
自分の乗った船について、他人事のように見守るよりも、トクがなくても信念を持って自分の意見を言う。小さなことかもしれませんが、英知を集めることが必要な今の日本にとっては、そういう小さな積み重ねが重要なのではないでしょうか。
募金も節電も重要。でも、今、日本に必要なのは「気概」だと思います。
気概は、実は身近なところにあります。
たとえ、それを言っても自分にとって何ら利がなくても、言いましょう!
誰かが別の意見を持っているかもしれず、言うのは怖いかもしれません。
でも、言いましょう。それこそ気概だとワタシは思います。
皆さんはどう思われますか?