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「英国王のスピーチ」を観て - 改めて考えた「できる」とは何か?

英国王のスピーチ/Filming Colin and Helenaこの週末「英国王のスピーチ」を観てきました。ご存知の通り、ゴールデングローブ賞やアカデミー賞を受賞した話題の映画作品です。

 
主人公は、現エリザベス女王の父君にあたるジョージ6世。ジョージ5世の長男のエドワード8世が王座を投げ出してしまったために、突然、王位を継承することとなった彼は、当時、吃音症のため、型破りのセラピストのもと、トレーニングを続けている最中でした。王位継承後まもなく、第2次世界大戦が勃発。ドイツとの戦争に突入します。英国民に向けて国王としてのメッセージを伝えなければならないシーンで映画はクライマックスを迎えます。
 
映画では、国王といえども、不安や恐怖を抱く普通の人間であることが描かれています。その弱さを持ちながらも、国王としての責任を果たそうとして、懸命にもがくジョージ6世。この映画が好評である理由は、不安や恐怖に立ち向かうその姿に、私たちは自分自身を重ね、勇気を与えられるからだと思います。
 
単純にいえば、そういう話です。が、とても奥が深くて、簡単に感想は書けません。
 
ワタシは、「できる」ということの意味を深く考えさせられました。健康に問題がある、体が不自由である場合を除き、一般生活で何かを「できる」「できない」は、黒か白かといったデジタルなものではなく、グラデーションです。ところが、ジョージ6世の場合は、歴然とできない自分に直面します。
一方、私たちの場合はどうでしょう? 自分ができていると思っていることでも、「できる」の定義を変えれば、本当はできていない場合もあるのに、自分なりの「できる」という尺度によって、できていると思っているだけです。疑ってみれば、できていないことも多々あるのに、ワタシも含めて多くの人は疑わずに暮らしている。
もちろん、誰にでも欠点はあるので、多かれ少なかれ、人はそれについて葛藤します。でも、努力しても、努力しても、何度努力してもできないという追いつめられた経験をしている人は一握りではないでしょうか。
 
ワタシは、この映画を観て、ある種の勇気をもらったものの、コンプレックスを乗り越えようとする姿を単純に賞賛し、ジョージ6世の苦悩に自分なりの経験をなぞり合わせて共感することは、安直すぎるな、と思いました。
ワタシの想像を超えた困難に立ち向かった人の話なのだと受け止めたからです。
吃音障害によって、普通なら直面しなくてもすむ「明白にできない自分」と直面せざるを得ないうえに、彼はまぎれもなくキングでした。そのプレッシャーたるや想像を絶します。
 
心と頭、体が一体になって、自分の思ったように機能してこそ、本当の意味で「できる」なのだとすると、実は私たちは自分が思う以上に、多くのことについてできないというのが本当のところだと思います。
 
三位一体となるために、スポーツ選手はトレーングします。メンタルがコントロールできなくてもダメ、問題を論理的に理解できなくてもダメ、問題がわかっても体がついてこなければダメ。どれか一つですめば簡単ですが、3つがバランスよく機能するためには、一夜漬けの練習では成し得ません。心も頭も体も自分のものなのに、1つのものとしてコントロールするのはとても難しいですね。
 
その難しさに直面したとき、それでも、もがいて、もがいて自分で自分をコントロールできるようになりたいかどうか。それが人生の質を変え、人の成長曲線を変えるような気がします。「ワタシが自分に感じる葛藤なんて、ジョージ6世に比べたら、あまちゃんだな」と思わせられる、そんな映画でした。
 
 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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