上等そうな言葉の下僕にならないために
こんにちは、小野です。
最近、「会議」を巡り、次の2つのことを痛感しています。
第一は、人は、会話の前提となる言葉の定義がバラバラなまま会話をしていて、会議などのオフィシャルなコミュニケーションではその整理をしないと大きな支障が起きるのに、実は、現実社会において、あまりそういった定義合わせは行われていないのではないか。
第二は、会議などのオフィシャルなコミュニケーションにおいて、人はとかく上等そうな言葉で、武装しがちなのではないか。。。の2点です。
第一の問題について、お客様からの依頼を受けて、ファシリテーションをしていると、言葉の目盛り合わせの面で、思いのほか時間がかかることが少なくありません。たとえば、「ターゲット」という言葉ひとつとっても、参加メンバーの一人ひとりのとらえ方はまちまちなので、先にその意味を合わせておかないと、議論が成り立たないのです。
第二の問題は、さらに深層心理的なことなだけに、よけいに難しいと言えます。会議などの場で、参加者がどんな言葉を選択して発言するかは、無意識に行われています。その無意識の中に、「恥ずかしくないように」とか、「ビジネスの場にふさわしく振る舞いたい」とか、「分かっているヤツだと思われたい」等々の深層心理が働いているような気がするのです。言ってみれば、無意識のうちに、人はそうした脅迫観念に支配されているのではないでしょうか。そうした深層心理があるから、人はついつい上等そうな言葉を発しようとする。それが常なのだと思います。
上等そうな言葉での会話には2通りあります。ひとつは「漢字言葉」会話。そして、もうひとつは「カタカナ言葉」会話です。例を挙げてみます。漢字言葉会話では、「差別化」「訴求力」「顧客満足」「利便性」「提供価値」「戦略」「認知度」など。カタカナ言葉会話では、「ターゲット」「イノベーション」「ブランド力」「ソリューション」「QSC」などです。
漢字言葉もカタカナ言葉も、会議の場で、そうした言葉を使っていけないわけではありません。でも、第一の問題で挙げたように、意見の根幹をなす言葉については、参加者の間で定義合わせをしなければなりません。ところが、その言葉を使っている本人が曖昧なままに使っていることも少なくないのです。先ほど書いたような、無意識の脅迫観念(もっともらしくしたい、という心理)から発せられた場合、大抵は定義が曖昧です。
このように、もっともらしい言葉を使ってしまう理由が、前述のような何らかの強迫観念によるものだとすれば、まずそれを取り除くことが必要です。他人の目など気にしないでいる方が、人は幸せになれるはずなのに、そう簡単ではないところが、人間社会の難しいところです。
でも、本当に自信がある人は、人の思惑など気にせず、どうしたら意思疎通を図れるかを考え、むしろ、わかりやすい「ひらがな言葉」を使うことを厭わないものだと思います。無意識で自分が選択した言葉から、自分の深層心理を紐解くと、未知なる自分が見えて来きます。私も、自分が上等そうな言葉を使うことによって、その言葉の下僕になっていないか、チェックしようと思いました。みなさんも、ぜひ試してみてください。