ダイエット話から考えた「勝ち負け」の世代論
こんにちは。
先週月曜日はお休みをいただき、蓼科に行ってきました。写真は、東山魁夷が描いた「緑響く」(湖の畔を走る馬の絵)のモデルとなった池「御射鹿池(みしゃかいけ)」です。小さな池なのですが、とても美しかったので、お裾分けしますね。
さて、今日はダイエットと世代論。実は個人的な話で恐縮ですが、2週間ほど前からダイエットに取り組んでいます。昔は、夏はむしろ「夏やせ」する季節だったのですが、最近は新陳代謝が悪いのか、ワインの飲みすぎなのか、体重グラフは右肩上がりです。
そんな話を元社員だった女性と飲みながら話していたのですが、彼女も減量を目指しているというので、では一緒に45日プログラムをやろうということになりました。9月25日までに毎日運動することで、1kg減を目指しています。
そして、一昨日の土曜日、あるセミナーでその彼女と再会したので、
「まったく減らないし、運動も『まあまあ』だった週と、『ダメダメ』だった週があって、このままでは到底達成できそうにない。負けちゃうよ」と愚痴めいたことを言ったところ、返ってきたのは、次のようなものでした。
「バブル世代はすぐに勝ち負けの話にしますよね。勝ち負けではなくて、続けることに意味があると思ってやりましょう」
いや、もちろん、そうなんだけどさ。。。
彼女は30代半ば。以前、世代論について話していたときも、バブル世代は視線が上を向いているけれど、その下の世代は斜め下を向いている。上を向くのが当たり前という前提で話をされても、下の世代は共感できないのではないかと言われたことを思い出しました。人は誰でも何でもできるのだというような、おめでたさを極めた(ある意味勘違いでもある)環境で育った私たちの世代と、現実感を持って生きるのが当然の環境で育った次の世代の間に、そのようなギャップがあるのは、本当のことかもしれません。
だから、「バブル世代が、いろんなことを勝ち負けの話に持っていく」と言われて、そうなのかもと思いながら、一方で本当に言葉通り「勝ち負け」を競っているのかと考えたら、実はそうではないのではないかと思いました。
「勝ち負け」を気にして、「勝ちたい」と思っているのではなく、たとえば、ダイエットという禁欲的な行為を、「勝ち負け」のあるゲームにすることで、楽しみに変えたいだけなのです。むしろ「勝ち負け」を気にしない世代だから、「勝ち負け」の話に変えられるのではないか、そんなふうに考えました。負けたら、負けたで、思いっきり負け惜しみを言って、笑い飛ばすというのが、この世代の感覚なのではないか、と。
「勝ち組、負け組」という言葉を使いだしたのは、むしろ私たちより後の世代ですね。あ、別に「バブル世代は勝ち負けにこだわる」と言われて反発しているわけではないです。これを書こうと思ったのは、ダイエットを通じた会話をきっかけに、自分の世代の感覚を振り返ってみて、こんな世代なのかもしれないと思ったからでしょうか。
ところで、最近言われる「勝ち組、負け組」という言葉は、格差社会が問題視されるようになってからだと思いますが、語源がいつにさかのぼるかといえば、太平洋戦争の頃だそうです。ブラジルやハワイの日系人社会において、日本がアメリカに勝ったと信じた人たちを「勝ち組」、負けたと思っていた人たちを「負け組」と呼んだのだとか。その意味で、「勝ち組」は「勘違い組」でもあり、夢見がちなバブル世代の傾向とも通じるものがありますね。
いずれにしても、「勝ち組、負け組」という言葉はあまりいい言葉ではないですね。嫌いな言葉だな。
さて、ダイエット決戦(あ、また勝ち負けの話にしている。。)の期日である9月25日まであと4週間。せめて週5日は運動したいところです。がんばります!