人が幸せを感じるとき
先日、何人かで飲んでいて、どんな状況だと幸せかについて語り合いました。面白いことに、これ、まったく人それぞれですね。しかも、幸せ上手になるにはコツがあるのです。幸せ上手な人の共通点について、考えてみました。
どんな状況だと幸せかを言語化してみる
「認めてほしい人から、自分が認めてもらいたいことで認めてもらえたとき」。うん、わかる、わかる。基本願望として、誰しも人から認められたいし、特に認めてほしい人からは認められたいですよね。
「自分が納得できている仕事で稼いだお金で、両親を食事に招いていいるとき」。これも、わかる。親には、自分が胸を張って生きていると知っていてほしいですからね。
「まだ見いだせていないけれど、好きなことに没頭し、それに集中できるとき」。これも、またまたわかる。ワタシも集中型なので、好きなことに寝食忘れて没頭しているときは、幸せです。
「自分と周りで起きている出来事に自分なりの意味付けができたとき。そして、それを分かち合える人がいるとき」。うんうん、これもまた、わかる。意味付けを重んじる人のために、グラスルーツは存在しているのだと思っているから、妙に納得。
この会話で他の人から出た「幸せであるとき」は、ほぼほぼワタシの幸せであるときと似ていますが、それでもワタシにとっての「一番」を挙げるなら、やっぱり別の事柄を挙げます。それは、次の2点でした。
ひとつ 上辺の会話ではなく、本音で話せる人たちに囲まれているとき。
ふたつ 自分が誰かの役に立てていると実感できるとき。
もちろん、来週、同じテーマで話したら、また別の答えになるかもしれませんが。。。
思い起こせば、私自身の幸せ観も、年代とともに変わってきたような気がします。
20代の頃は、やっぱり人から認められたいという思いが強かったように思います。人の役に立ちたいなどと思い出したのは、遅ればせながら40代からです。
つまり、「今はこれが重要」と思っていたからといって、人は変わるということなのでしょう。変わるから面白いし、そこに何らかの成長の軌跡というものがあるのですね。
サバイバル力=感情のコントロール力
飲み会とは別に、最近、いくつかの出来事を通じて、人の幸せを司るのは「感情」と「そのコントロール」ではないかと思い始めています。何らかの困難な出来事に直面したとき、出来事自体はコントロールできないけれど、自分がどう受け止めるかは自分でコントロールできます。ネガティブな思いに左右されるか、ポジティブに考えられるかというような違いです。
たとえば、Xさんとの関係がこじれているAさんは、「こんな状況が起きたのは、Xさんがこう思っているからに違いない」と決めつけますが、同じ状況でBさんは「自分から見るとXさんはこう思っているように思える。でも、本当のところはわからない。それなら、いっそ本音で話してみよう」と考えます。得られる結果は180度違います。また、苦手な仕事に直面したとき、Aさんは「苦手なことだから、慎重にやりたい。失敗はしたくない」と思い、Bさんは「得意ではないけど、精一杯やって失敗してもいいや」と考えます。ワタシは、Aさんよりも、Bさんの方が幸せになれるのではないかと思うのです。
究極のところ、サバイバルする上で一番重要なのは、仕事のスキルなどではなく、自分の感情のコントロール、すなわち、ポジティブな気持ちを保つためのスキルではないかと思いました。
どんなに付加価値の高い仕事をする能力があっても、どんなにスピーディーに処理する力があっても、困難に直面したときに、それを乗り越える力があるかどうかの方が、サバイバル能力的には上ではないか、と。
そうなのです。これこそが、「幸せ上手」になるためのコツなのかも!とワタシは思います。
人間社会では、「社会」というぐらいですから、所詮、軋轢はありますし、仕事では、経験したことのないことの連続になります。人間関係や仕事の状況によって、「不安」「苛立ち」「憤り」「焦り」「逃避」「自信喪失」等の感情に苛まれます。でも、自分の負の感情と正面から向き合い、コントロールできさえすれば、人はとても強くなれると思います。要は、ありのままの自分を受け入れるということに尽きるのかもしれません。
自分が幸せである状況を言語化すると同時に、ハードルとなる感情を棚卸しするというのは、案外有効な気がします。
さて、今月もあと10日、今月が終わると今年も2カ月です。
2012年、自分が一生懸命生きたと思えるように、がんばります! ではまた