コミュニケーションしたいのか、したくないのか
それは、多分、1996年頃だったと思います。インターネットの黎明期。ワタシはあるアーティストのメーリングリストのメンバーでした。周りにインターネットを使っている人は多くない時代でしたが、マイナーアーティストの情報を得たいあまりに、「英語」のメーリングリストに登録していました。メーリングリストというのは、登録している他のメンバーに対し、情報を伝え、質問を投げかけ、それに誰かが反応するという一種のコミュニティです。今では想像しにくいですが、WEBサイトというものもまだ「あるのが当たり前」ではない時代だったのです。
しかし、この頃のメーリングリストを通じて得た体験は、ワタシにとって、ものすごく大きなカルチャーショックで、結果的にはワタシの価値観に良い影響を与えてくれたと思っています。とのような影響かといえば…?
その体験を通じて感じたのは、日本人(ワタシの?)の島国根性についてです。メーリングリストにはいろいろな国の人々が書き込んでいます。そうすると、「どう考えてもこの文章は文法的におかしいだろう」というようなことをネイティブではない人たちが堂々と書いている。その発見は痛烈でした。なぜかといえば、私たち日本人の多くは「文法的に合っているだろか」ということを常に気にしていると思うからです。
しかし、考えてみれば、英語は国際語であっても、それを母国語としている人は必ずしも多くはないのだということを肌で感じたのです。大切なのは、誰かとコミュニケーションしたいのか、したくないのかであって、それ以上に上にくる基準はないと理解できたのが最大の収穫だったと思います。そのとき思ったことは、「小さいよ、ワタシ」ということでした。
当時、日本人がメーリングリストにポストすることは珍しかった上に、まもなくワタシがWEBサイトを立ち上げたこともあって、サイトを通じて、国内外の多くのファンと知り合いになりました。その中の一人である香港の友人/ベリンダが、この1週間来日し、ワタシの家に滞在していて、本日帰国しました。
もちろん彼女もネイティブではありませんが、英語力はワタシより圧倒的に上。コミュニケーション力も極めて高い人です。滞在していた1週間の間に、仕事や家族の話もする一方で、年金問題や解散総選挙の話題にまで話が及びます。ワタシにとっては、年金問題も選挙の話も日本語でさえ心もとない話題なのですが、でもボディランゲージも含めて、一生懸命に話すと、なぜかちゃんと伝わるものですねー!
改めて「誰かとコミュニケーションしたいのか、したくないのか」が重要だと痛感しました。そして、「したい」とさえ思えば、必ず伝わると。
そんなベリンダと、先週1日お休みをいただき、金土で山梨県甲府市に行ってきました。行った先は、「昇仙峡」ほか諸々です。
今回の旅行は彼女の来日がきっかけにはなっていますが、ワタシ自身の休憩になっただけでなく、コミュニケーションの原点を思い出すこともできて、大変良い1週間でした。