「平清盛」というのはどんな人物だったのか?
いよいよ師走です。早いですね〜
12月といえば、まもなく大河ドラマの最終回。ワタシは歴女ではないのですが、大河ドラマを見るのは好きです。今年放映の「平清盛」は視聴率で伸び悩んだようですが、ワタシなりに毎回楽しく観てきました。もうすぐ最終回です。
平清盛と聞いて、多くの人が思い出すのは「平家物語」「保元の乱」「平治の乱」「頼朝の流刑」「壇ノ浦の戦い」「驕る平家は久しからず」などではないでしょうか。そして、平家は破れて、鎌倉幕府ができる、と。そうなのです。平家の時代というものに対する背景や意味というものをワタシは気にも留めずにいました。
テレビドラマはドラマであって、史実とイコールではないので、平清盛という人の実際の人物像はわかりません。でも、歴史的な意味や背景がわかったり、100%邪悪な人でもなかったらしい、という感想を持てたのは良かったです。「驕る平家は久しからず」という言葉のイメージで、ワタシは平清盛という人物に対して、実はあまり良い印象はなかったのですが、人並みはずれた構想力の持ち主というか、人がついて来られないようなビジョンの持ち主だったのではないかと思います。
物語は、武士が「王家の犬」と呼ばれ、貴族たちから蔑まれていた時代に始まります。清盛は、「武士の世を作り、宗との交易によって国を豊かにする」という構想を心に抱き、次第に権力を持つようになっていくのですが、最後は独裁的になり、家来たちさえそのあり方に疑問を呈するようになっていく様を描いています。「武士の世」とは、「武士が国を動かす世」「武士が政を行うしくみが定着した世」ということだと思うのですが、そこから明治に至るまでの長い時代が、本当に武士の世になったのですから、歴史への影響力たるや、織田信長や坂本龍馬以上かもしれないと言ったら、言い過ぎでしょうか。
清盛という人が、「驕る平家は久しからず」という言葉が世に広まるほど、驕った人だったのかどうかはわかりません。でも、心の中がどうであったかよりも、他の人の心にどう映ったかの方が重要なのだと思います。彼の理解者がいなかったのだとしたら、それは結局は本人の行動のどこかに原因があったのだ、と。
他の人には想像できないビジョンを描く能力があったのに、それを理解する人がいない孤独な人だったのかもしれませんが、リーダーにはビジョンを伝える義務と責任があるのではないか、、、そんなことを考えさせられました。そして、ワタシ自身は一体どの程度伝えることができているのかと考えて、反省することしきりです。
清盛の父、忠盛が言った「心の軸を持て、心の軸がぶれない体をつくる」という言葉をワタシ自身の頼みに、まずは軸を明確にし、それを内外に伝えていこうとそんな気持ちでいます。
今週もよい1週間でありますように!