たとえ遠回りだと思っても、人生に無駄なことなどない
あまり大々的に宣伝しませんでしたが、先々週の木曜日、11月29日は当社の創業28周年となる創立記念日でした。社内で、ささやかに祝杯を上げました。紋切り型な言い方になってしまいますが(でも、本当に思っていることです)、いろいろな方たちに支えられてきたからこそ続けて来られたと思っています。本当にありがとうございました。
たかが28年、されど28年です。私は、自分の歩んできた道について、誇示するつもりはありませんが、誇りに思っています。
しかし、、、何だかんだ生き延びてこられたというのは、あくまで結果論です。もちろん、努力をしなかったかと言われれば、しました。でも、その努力のおかげで今日があるのかと言われたら、わかりません。リストラを断行したこともあったし、そういう意味では、ワタシが経営者として優れていたから続けられたのだとは思いません。ほんの少しだけ運が良かっただけではないかと思います。
話は飛びますが、昨日、大人の学校「スクーリングパッド」7期生の仲間7名の忘年会に参加しました。なぜか全員女子です(笑) 2008年の秋から冬にかけてのわずか3カ月の間に、レストラン事業について、共に学んだ間柄なのですが、受講が終わって以降も細く長くいい関係が続いています。
ワタシが今、この話を持ち出したのは、そのうちの一人が、スクーリングパッド終了後に開いたお店(カフェ)から来年2月に撤退すると語ったからです。開業から4年。大きな決断だったと思います。
一般的に言えば、「撤退」というのはネガティブな印象を与えることだと思います。しかし、ワタシはそれについて敢えて異論を唱えたいと思い、これを書いています。
世の中の大半の人が「やりたい、やりたい」と思いながらも、それをなかなか実行できません。けれども、撤退を決めた彼女はとにかく「やった」のです。その結果、彼女は大半の人が抱く「やらなかった後悔」をする人ではなくなりました。
「実行」し、「撤退」することと、「やらなかった後悔」をすることと、いったいどちらが良いでしょうか? ワタシは、実行し、撤退する方が数段良い人生を歩んでいると思います。そういう人に対し、「経験のないことをやったのが悪い」とか、「計画が甘いからだ」とか、批判をするのは簡単です。そして、そんな批判をする人に限って、自分はトライしないというのが世の常のような気がします。
ワタシが2009年に行ったリストラも、ある意味では「撤退」です。会社を閉じずに済みましたが、撤退したことに変わりはありませんでした。まったくもって誉められる方法ではありませんが、それ以外に生き延びる手だてがなかったのです。胸を張って肯定するつもりはありませんが、実はそういうことが起きるのが多分人生というものなのですね。
水前寺清子の歌ではありませんが、「三歩進んで二歩下がる」こともあれば、「二歩進んで三歩下がる」こともあるのがビジネスであり、人生です。「撤退」も生き残る戦略の一つ。その決断が遅れることの方が、むしろ問題ではないでしょうか。
さて、撤退を決めた友へ。
まず、まったく未体験な分野にチャレンジしたあなたを誇りに思います。そして、撤退を決めたとしても、人生に無駄なことなど何ひとつないのではないでしょうか。一見すると遠回りなことが、そうではなかったとわかるには時間が必要です。そんな日が、やがて来るとワタシは思っています。とにかく、あなたは4年間、やり続けた。だからこそ、気長に次の時が来るのを待ちましょう。がんばっているあなたの姿を見るのは、みんなの勇気になることを忘れないで。今後の展開を楽しみにしています。