「運」と「ストックデールの逆説」
日曜日、スターチャンネルのVODで映画を観ました。選んだのは、実話特集の中から「ワールド・トレード・センター」と「生きてこそ」。前者は言うまでもなく9.11で生還した警察官の物語。ニコラス・ケイジが主役を演じて言います。後者は、1972年、飛行機が冬のアンデス山脈に不時着し、72日も経って16人が生還した奇跡の物語です。
不慮の事故によって生死の境目にいるとき、運がいいとか、悪いとか、生命力があるとか、ないとかでは片付けられない様々な要素が人々の運命を弄んでいきます。まもなく、3.11から2年が経とうとしています。愛する人と死別した方々や今も新たな生活を築くために闘っている方々の存在を忘れずに、社会全体で風化させない努力の必要を感じます。
生還することにも意味がありますが、死にも意味があります。意味ある死にできるかどうかは、残された人たちの心持ちにかかっています。意味のある死になるように、何ができるのかを考えましょう。
さて、「運命」を「変えることのできない定め」と捉えるなら、ワタシは運命を信じません。一方で「運」というのはどこかで信じていて、幸運を呼び寄せられるかどうかは、その人次第…、そんなふうにいつ頃からか思っています。
ワタシ自身がどうなのかといえば、友だちに言わせると「運に恵まれている」のだとか。こんなに苦労しているのに(笑) 実際がどうかはともかく、友だちの言葉を噛み砕いて考えると、こういうことだと思っています。ワタシが運がいいのではなく、物事の同じ局面をポジティブにとらえる人からすると、ワタシの身辺で起こっていることを見て、「運」がいいと見えるのだろう…と。そして、類は友を呼ぶという諺の通り、ワタシもワタシ自身に降り掛かってきたこれまでの出来事をどちらかといえばポジティブに捉えるので(最低限ネガティブには捉えないので)、その目線で見ると、運がいいということになります。つまり、「運がいい」というのは、物事の捉え方に過ぎないのですね。
一見すると悪いことが起きたとき、「なんで自分にこんなことが…」と思うのと、「これにもきっと意味がある」と思って受け入れるのとでは、その後の行動が変わりますよね。自分で運が悪いと思っていては、運は逃げていく。そんな気がしてなりません。
さて、みなさんは、「運」を呼び寄せるために意識していることはありますか?
非科学的ではありますが、ワタシが意識しているのは、「ストックデールの逆説」です。実は、「ストックデールの逆説」という言葉は、後になって知りました。ストックデールというのは、ベトナム戦争の最盛期、8年間も捕虜収容所に捉われていたアメリカ軍の将軍で、ワタシはこの存在を「ビジョナリー・カンパニー2」を読んで知りました。彼が、どのようにして苦境に対処したのか、触れられていたのです。次のクリスマスにはここから出られると思っている人は、それが実現できなければ失望し、最後にはその苦境に耐えられなくなる。自分は、そうした楽観はせず、けれども絶対にここから出て、この経験をかけがえのないものにするという信念を持っていた、確かそのような内容でした。もしかしたら、南アフリカのマンデラ元大統領なども、そうやって耐えたのかもしれません。どんな困難にぶつかっても、最後は必ずうまく行くという希望を忘れない姿勢と、厳しい現実を直視し、最悪の事態を覚悟する姿勢。この2つをバランスのいい形で保てている状態にあれば、運は逃げていかないという思いがなぜかあって、これまでワタシは両方のバランスを保つことを意識してきた気がします。
そういえば、映画「生きてこそ」では、ナンドとカネッサの2人が山を下って、最後には救援隊が来るのですが、2人のキャラクターは2つの相反する姿勢を象徴するかのように描かれていました。
家で映画を観て、あれこれと思いを馳せる。たまにはそんな日曜日も悪くありませんね。