例えられると記憶に残る〜SF映画「エリジウム」を観て
ニール・ブロムカンプ監督・脚本のSF映画「エリジウム」を観ました。ロボコップなのか、何なのか、どこかで観たようなストーリーでもあり、星をつけるなら3つですが、それでも印象に残ったことがあったので、記録しておこうと思います。ネタばれかもしれませんので、これからご覧になる方はご注意ください。
まず、簡単にあらすじを紹介しますと;
舞台は 2154年。地球は二つの世界に分かれていました。貧困層が暮らす荒廃した地上と富裕層が生活するスペースコロニー“エリジウム”です。マット・デイモン扮する主人公マックスは貧困層に属する労働者、片やジョディ・フォスター扮するエリジウム防衛長官は富裕層側の人間です。工場での作業中に放射線を浴びる事故に遭い、5日の命を告げられたマックスは、どんな病気も治ってしまう“エリジウム”に潜入しようと決意し…。
元々は自分の命を救いたいがあまりに潜入を企てたマックスでしたが、「やがて人々のために」という気持ちに変わっていき、そのために命を絶ちます。「人々」の中には、子ども時代を共に過ごしたフレイと白血病で余命わずかなフレイの娘も含まれています。
フレイの娘は、マックスに「ミーアキャットとカバ」の物語を聞かせていました。
そのストーリーは、ざっとこんな感じです。
「大きな動物がたくさんいるジャングルで、
ミーアキャットは、食べ物を手に入れることがなかなかできなかったの。
でも、カバがミーアキャットを背中に乗せてくれたから、
ミーアキャットは木の上にある食べ物を食べることができるようになったの」
これに対し、マックスは「カバの得はなんだ?」と聞くのですが、フレイの娘は、こう答えます。「カバには、友達ができたわ」。そして、マックスは命を絶つ寸前に「カバの気持ちがわかる」と語ります。
さて、ワタシがここで書きたいことは、「ミーアキャットとカバ」の寓話が素晴らしいということでもなければ、メタファー(比喩)として優れているということでもありません。むしろ、少々唐突な印象さえあったのに、それにも関わらずそのシーンが一番印象に残ったという点です。
改めて「たとえ話」の力を感じました。
当社のお客様にNさんという比喩の名手がいます。お会いするごとに、必ず拍手喝采したくなるような比喩が飛び出します。その瞬発力たるや半端ではありません。才能と言ってもいいくらいです。先日も人の育て方の話の中で「僕は、かけっこは得意だけれど、鉄棒は苦手という人に、鉄棒がんばれとは言わない。それなら、かけっこでがんばってもらう方が良い」と。比喩には、わかりやすくする効果だけでなく、会話を楽しくさせる効果もありますね。
ワタシにはそんな瞬発力はありませんが、もう少し意識することで、物事はもっと伝わりやすくなるのだろうなぁと思いました。才能はなくても、トレーニングで少しは上達するかしら…? 映画の感想から飛躍して、そんなことを考えさせられました。
最後に、「ミーアキャット」がどんな動物かを知りたい方は、こちらでご覧になれます。外見はかわいい動物のようですね。ナショナル・ジオグラフィックのサイトへ