「目標」を「ビジョン」として語ってしまう経営者の心理とは?
今日の当社のメルマガタイトルは「世界一になるには」(阿部貢己発)でした。ACミランに入団した本田圭佑選手が卒業文集で「ぼくは外国から呼ばれて、ヨーロッパのセリエAに入団します。そしてレギュラーになって10番で活躍します」と書いていたということが、あちこちで報道されていましたね。メルマガの内容も、それに絡んだものでした。本田選手は1986年生まれ(ちなみに誕生日はワタシと1日違いの6月13日でした!)なので、12歳のときに28年後のビジョンを持っていた。本当に驚きます。
この3連休にワタシは当社の10〜15年後のビジョンについて考えていました。しかし、実は10年以上先のことについて、これまでに考えたことがありませんでした。これについては、前回のブログ「夢ってなんだろう?」でも書いた通り、ドリーマーのイメージや目標という言葉がキライだったからです。けれど、改めて未来像を描こうとすると、実に楽しいものだと感じました。そうです、ワクワクします!
さて、目標とビジョンを混同し、目標をビジョンと語る経営者は意外に少なくありません。でも、ビジョンは未来像であり夢であって、目標ではありません。ですから、成長率が何パーセントだったとして、10年後の売上規模はこのくらい…というアプローチは正しくありません。そのアプローチでは目標は作れますが、ビジョンは作れないのです。
ところが、ビジョンを描こうとしていたのに、目標になってしまう経営者がいるのには、言葉の理解やアプローチの仕方が間違っている以外にも、いくつかワケがあると思います。
まず、ワタシも含めて経営者の心の中には、絵に描いたような餅を掲げても、実現できなければ意味がないという心理があります。それが、どんなところから来るかといえば、今年何が起きるかもわからないくらい環境変化が激しく、企業を継続して成り立たせること自体が簡単ではない状況で、そんなおめでたい気持ちでいては足下をすくわれかねない…と、まあ、そんな心理から来ていると思います。夢というのは、「おめでたモード」を全開にしないと語れないのです。
ついでに言えば、経営者にとっては、描いたものが実現できずに未達に終わることほどイヤなことはありません。自分が能無しの気分に陥るからです。夢を見ていた自分が悪い、と。そんな気分になるようなことからは、できれば逃げていたい。苦労した経験があればあるほど、そのような深層心理が、経営者の心の中に少なからずあると思います。ワタシも、バブル崩壊やリーマンショックなど、その都度ドリーマーの悲哀を味わってきました。そうすると、ドリーマーであること自体が悪であるとさえ思えるほど、夢よりも現実感の方が大切だという気分に陥ります。
そして、もう一つ。これは経営者のタイプによるものです。マネジメント能力の高い人は必ずしも構想力が高いとはいえず、構想力のある人はマネジメント能力が高いとは限らない、ということです。ワタシの場合は構想力>マネジメント力だと自覚しているので、言い方を変えれば、自分の取り柄を長い間発揮してこなかったとも言えます。神様、ごめんなさい。
まあ、一刀両断に決めつけるのはいかがなものかと思いますが、経営者のこのような意識(顕在意識か潜在意識かはともかく)が経営者自身を縛り、「ビジョン」という名の「目標」を立ててしまう、そのようなことが起きがちな気がします。
できる/できないを度外視して楽観的に「絵に描いたような餅」を描く、「こうなったらいいな」を描く。それがビジョンです。
ワタシも「おめでたモード」全開で、こうなったらいいなのイメージを膨らませています。調子に乗って、30年後のイメージも抱きました。その頃、生きているかどうかもわからないのに(笑)
では、良い1週間を!