「軍師官兵衛」を観ながら、「参謀」の本質、考えました
NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」をご覧になっていますか? ソチ五輪も影響してか、視聴率が思うように伸びていないそうですね。でも、ワタシは岡田准一さん扮する官兵衛のドラマ、毎週楽しみに見ています。
ドラマが今どの辺まで進んでいるかといえば、官兵衛が仕える主君・小寺政職に対して織田信長に味方するよう進言し、なおかつ播磨のライバル家と共に信長に拝謁することを勧め、それが実現した。それが昨日の日曜日の内容でした。このあと、恐らくは信長・秀吉ラインで取り立てられ、その後、秀吉の参謀として能力を発揮していく…そんなドラマが待っているのだろうと想像しています。
で、今日のブログでは、まだ始まって2カ月しか経っていないこのドラマを見ながら、ワタシが感じたことを書きます。
それは、「参謀」の本質について。
参謀だから進言したのか、進言したから参謀となったのか、という問いです。
これは、かなり深い問いですよね。皆さんは、どう考えますか? ワタシ意見は、進言したから本物の参謀に上り詰めたのだと思っています。昔も今も、上司に物申すのは勇気がいります。今でこそ、生死がかかることはありませんが、昔は生死がかかっていました。生死をかけて、物申す。今の時代では想像を絶する勇気が必要だったと思います。でも、それをしたから、参謀として信頼されたのもまた事実ではないでしょうか。
戦乱の世も、今の世も、おそらく上司はわかっているのです。自分の顔色を見ている輩か、そうでないか。そして、顔色なんか読まれたくないと思っている。だから、信念に基づき発言する人を信頼する。人間として、自然なことだと思います。
けれど、ここで別の問題があります。
相手が上司であろうと、誰であろうと、考えを整理して意見を言うことに私たちは慣れていないのです。だから、本当は信頼される参謀になりたいと思っていても、それができないという人は多いのではないでしょうか。
つまり、参謀であるためには2つの力が必要です。
1)ヒエラルキーにとらわれず、信念に基づき発言する勇気
2)自分の考えを整理して、意見にまとめる能力
1番は気構えや覚悟で何とかなります。
でも、2番は直感と論理を統合する力と言っても過言ではありません。そして、これはそれほど簡単ではありません。
ところが、「参謀でありたい」という気持ちがあるのに、うまく行かない時、欲求と現実のギャップの間に何があるのかは案外わかりにくいですね。つまり、自分が1番でつまずいているのか、2番でつまずいているのかを把握する必要があります。でないと、間違った方向に頑張ってしまったりしますから。
当社でも、お客様の参謀であろうという心意気を重んじていますし、社内でも思ったことを言い合える風土というのを重んじています。でも、実際にはそれほど単純ではなく、理想の行動をするには壁を乗り越えないといけない場合があります。そして、そのためには、1番と2番のどちらがハードルになっているのか(両方の場合もありますが)、切り分けないことには、次に進めません。
自分の現在地を確認するためにお勧めな方法があります。それは、意見ではなく、感想を率直に言えているかどうか。
意見を言うには、考えをまとめる必要がありますが、感想を言うのは、その必要はありません。ネガティブな感想を抱いた時に、それを言えたか、言えなかったかで、自分の現在地がわかります。感想を言うのに、飲み込んでしまったことがあったなら、恐らくはどこかで反感を買いたくないという心理が働いています。
であるなら、まずはそれと格闘して、取り除かないとね。人に良く思われたいとか、嫌われたくないという心理は誰にもあります。もちろん、ワタシにだって、ありますよ! でも、それに支配されたくはありませんね。だって、それはやっぱり失礼だと思うから。相手を尊重していれば、正面から向き合って逃げないこと、必要ですよね。