「ブルージャスミン」〜良く見せたい心理の不思議
ウディ・アレン監督作品「ブルージャスミン」を観てきました。今年1月、ケイト・ブランシェットがアカデミー賞主演女優賞を受賞したことで、一躍注目を集めましたね。ケイト・ブランシェットは大好きな女優の一人です。
これからご覧になる方もいるでしょうから、詳しいことは書きませんが、主人公は、夫の経済力に支えられ、ニューヨークでセレブな生活を送っていたジャスミン(ケイト・ブランシェット)。ところが、一転して愛も財産も失い、見下していた妹のアパートへ転がり込むのですが、自分の現実を受け入れられません。そして、玉の輿作戦で再びセレブに返り咲こうと画策する…、そんなちょっと痛い人生を生きる女性の物語です。ケイト・ブランシェットの演技のどこがスゴいかといえば、精神的に追いつめられた病的描写と、したたかで計算高い女性の描写を絶妙なバランスで演じている!ってことでしょうか。
さて、チケットに書かれた「虚栄という名の花」という一文は、まさにジャスミンの人柄を表しています。一言でいえば、「虚栄心」の固まり。彼女は、自分を良く見せるためなら、何でもしてしまうような人物です。
「虚栄心」とはそもそも何なのかと、気になったので調べてみました。
というのは、虚栄心が源にある行動というのは、一定の洞察力がある相手から見ると「この人、自分を大きく見せたいんだなー」とバレバレですよね。バレちゃったら虚栄心が満たされるどころか、むしろカッコわるいはずなのに、なぜそこで自分を大きく見せたくなるのでしょう? 多分、大きく見せているという自覚はないのだと思います。しかも、バレないまま認めてくれる相手もいるのでしょう。
自分を実質よりも良く見せたいと思う心=「虚栄心」。
その心理の裏側には人から見透かされるのは怖い、その恐怖から逃れたいという気持ちがあるそうです。つまりは、自信のなさやコンプレックスなどを隠したいという気持ちが強いと、隠すために見栄を張るわけですね。
けれど、人から良く思われたい心理は誰にでもあり、それがあるからと言って、必ずしも「虚栄心が強い人」とは見なされません。どんなときに、受け手のセンサーは相手の「虚栄心」を見抜くのでしょうか。
ここから先は理屈抜きの話になります。
受け手が相手の「虚栄心」を感じるというのは、相手の言動に「『自分は人よりも上』と『認められたい』」という心理を感じたかどうか、そこがポイントではないかとワタシは思います。つまり自分が人よりも優れているとか、イケていると認めてほしいためにアピールしていると感じると、虚栄心が強いと判断する。言い換えれば「他人軸」で生きており、「承認欲求」が強いということですね。
仮にもし、「私はこれが得意です」とか、「私の強みはこれこれです」という話があっても、自分軸で語られている限り、「虚栄心が強い人」とは見なさないのではないか、と思います。逆に言えば、その人に本当の実力があったとしても、「私って人よりすごいでしょ? すごいと認めてよ〜!」というモードで誇示されると、どんなに実力があったとしても、「この人、大きく見られたいんだなー」というセンサーが働く…人と人の間では、そういう無言の観察が行われているのだろうと思います。
さて、「虚栄心」は組織にどう影響するでしょう?
虚栄心の強い上司は、自分の成功体験から抜け出られず、「自分の若い頃は…」と語ったり、パワハラしたり、自分に非があっても謝れなかったりするでしょうね。
虚栄心の強い部下は、根拠もなく自分なら達成できるとアピールし、けれども協力者を得ることもできず、SOSを出すこともできず、結果うまく行かない場合はやっぱり他責で、うまく行った場合は武勇伝として語る…そんな感じがします。
まずは、単純に自分軸で生きたいものですね。ありのままの自分を受け入れる、つまり「自尊心」を持つということになりますね。そうすれば、自信のなさやコンプレックスを隠したいという気持ちがなくなり、自ずと「認められたい」「誇示したい」という欲に支配されることもなくなる気がします。他人軸から脱皮する、そこに幸福になるための大きなヒントがあるのかもしれません。