組織でコンテンツをつくるということ
最初にこんなことを書くのは、エクスキューズしているようで躊躇しますが、今日は、考えの整理のついていないことを、つらつら書かせていただきます。
ワタシは社長なので、ワタシの関心とグラスルーツの方向性は、当然のことながらシンクロしています。ワタシの現在の関心は、コンテンツをつくって発信する、そんなことをもっとたくさん実行したい、というような方向に向かっています。
コンテンツは、もちろん何でもいいというわけではありません。ちょっと広すぎる言い方かもしれませんが、世の中を良い方向に変えることに役立つものをつくれたらいいな...と、もちろん思っています。←これだと、何のこっちゃいと突っ込みたくなりますよね。もう少しだけ狭めた言い方をすれば、人が自分自身の素を出すことや、組織の中でモチベーションを高く保つことに役立つコンテンツ、あるいは、人が自分の持っている力を発揮することに役立つコンテンツです。あ、もちろん、これでも相当広い言い方ですが、今ここで書きたいのは、ワタシが発信したいコンテンツのコンセプトについてではありません。「どうやって、つくるのか」についてなのです。なので、今日はコンセプトの深堀はしません。
ワタシがここで述べているコンテンツというのは、どちらかといえば脳みそ刺激系のもの。誰かの学びに役立つような、知的好奇心を満たすようなコンテンツ...というのが、イメージの中心にあります。今のところのアウトプット手法としては、セミナーやワークショップが最もわかりやすくて身近な方法になりますが、必ずしもそういった手法にこだわっているわけではなく、書籍でも映像でも、フィクションでもノンフィクションでもいいですし、その他の方法でもOKのつもりです。
で、今、私がどんなことに、どんな視点でトライしているかというと、コンテンツの作り方の研究をしています。というのは、組織で、組織発のコンテンツをつくるということは、小説家が小説を書く、画家が作品を描く...というようなアプローチとは違うアプローチをしなくてはなりません。どちらかといえば、映画をつくるとか、ドラマをつくるのと似ているのではないかと考えています。
プロジェクトが成功するためのポイントとなるのは、次のようなことではないか...と考えているのですが、まあ、これは仮説のようなものですね。
(1)適材適所(合議制とは違う/才能を生かし合う/でもチームプレー)のチームがつくれるか。
(2)内容よりBefore/Afterを明確にする手法をチーム内の常識にできるか(何を実行するかより、その結果どうなるか)。
(3)そのために必要な、オープンなコミュニケーションを実現できるか。
かつて、故・黒澤明監督は、シナリオを書く時に共同執筆を好んだと言います。黒澤式共同執筆では、複数の脚本家が合宿体制を取り、議論しながら脚本を練り上げていく形を取っていたそうです。ワタシが思い描くものも、それに近い形だと思います。だから、どうしたら、メンバーの関係性をそのようにすることができるのか、仕事に限らずトライしてみています。
ワタシは、前回のブログで書いた小林文子さんとのコラボでも、チームづくり×コンテンツづくりという興味を持って進めましたが、同様の興味から、様々なコンテンツ開発には携わって、検証したいと思っています。現在は、別の友人Y君が進める「地域社会に"Good Impact"を与える人材の輩出」をミッションとする、高校生によるプロジェクト創出企画の中で、《高校生たちにプレゼンテーションを学んでもらうための講座》のコンテンツ開発に、ボランティアとして参加しています。仕事ではないので、ワタシもYくんも時間的制約があるわけですが、その際の進め方に対し、人はどんなことを感じるのか、そういう視点を持って関わっています。プロジェクトメンバー間で、恊働意識と依存心が混ざってはいけないわけですし、責任の所在をどうするのか、恊働によるシナジーが得られるのか、そういった視点で状況を見つめています。
今の段階では、まだ最少の人員構成の場合でプロジェクトのあり方を検証しています(ワタシともう1名の組織が前提)。このミニマム構成で体感/体得できたものがあれば、チームのメンバーが増えたり、多少複雑化しても対応しうる原理原則が発見できるのではないか...、そんなふうに期待し、眺めているところです。
そんな発想でコンテンツを開発する、それはつまりどうやったら良いチームがつくれるか...と同じ関心です。何か気づきがあったら、この場でまたフィードバックしますね。(なんて、エラそうなことが書ける状況ではなく、早くプレゼン講座の第1稿を書き上げなくてはいけないのですが、、、、。)
と、いうわけで、がんばりますので、見守っていてください! よろしくお願いします。