信長も秀吉も知っていた、短い言葉の威力
岡田准一さん見たさに、今年も観てきました、NHK大河ドラマ! そのドラマ『軍師官兵衛』もそろそろエンディングに向かいつつあります。
が、このドラマ、ビジネスパーソンの多くが観ているはず...と思うのは誤りのようですね。知り合いでもあり、株式会社アタックスの執行役員である北村信貴子さんは、研修会で「NHKの大河ドラマ『軍師官兵衛』を見ている人、手を上げてください」と聞いても、少数の人しか手を挙げないと、今年の8月頃の同社コラムでそのように書いていらっしゃいました。
北村さんは、現代社会は多様性に満ちており、このドラマは観ているはず...と言えるようなものは存在しないので、リーダーである社長は「他から入ってくる情報が霞んでしまうほどの強烈な情報発信力で、組織の中に共通認識を醸成していくということ」が重要だと述べています。(コラムはこちら)
ワタシもまさに同感です。「共通認識」は私の言葉に置き換えると「共通言語」となりますが、共通言語があるのと、ないのとでは、力の出し方が変わります。共通言語があるということは、逐一説明しなくても成立するコミュニティですが、共通言語がなければ、言葉の背景に始まり、その言葉が背負っている意味を説明しないと話を始めることさえできません。
たとえば...、
当社の価値観には「フェアであること」というものがあります。そして、その意味の中には当社固有のものも含まれています。だから、たとえば社内で「それは、フェアじゃない」と言ったとして、それを聞いた人は、その意味が必ずしも辞書通りの意味とは限らないことを知っています。ところが、もし今日入社した新人が「それは、フェアじゃない」と聞いても、恐らく辞書通りに「公明正大ではない」等の意味でだけ捉えるはずです。意味を合わせるには、それなりの時間を使わないとなりませんねね。
さて、北村さんがおっしゃるように、リーダーは共通認識の土壌を築くことを常に意識すべきなのだと思いますが、特に、何か新しいことを始めようとするときには、そもそも共通言語はないので、意識しないわけにはいかないのではないでしょうか。だから、リーダーは言葉を作らなくてはならないし、その言葉を持つことがいかに重要かも認識する必要があります。
『軍師官兵衛』にも出てきますが、信長は、天下統一に際して「天下布武」(てんかふぶ)という言葉を掲げました。「布武」というのは、「七徳の武」(暴を禁じ、戦をやめ、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにする)を持つ者が天下を治めるに相応しいという意味であったとか。信長の真意が何であれ、信長の「天下布武」は歴史的スローガンの一つと言えます。つまり、信長の時代から(いや、もっと以前でも)、自分のやりたいことやその志の意義を短く言葉にまとめることがいかに大切であるか、歴史のリーダーたちは知ってたのです。そのくらい概念を短い言葉で表すことは大切なんですね。それにしても、漢字四文字で表せるというのは、便利ですね〜 漢字文化圏で暮らす以上、もっと活用した方がいいかもしれません!
次回は、裸の王様化してしまった秀吉について、その「なぜ」について妄想的にアプローチしてみます。私の予想としては、秀吉は「箱に入った」のだということだけ、お伝えしておきます。歴女でもないのに、こんな予告しちゃっていいのかしら...と思いつつ、まーたらーいしゅー!