言いにくい話
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ここ最近、「言いにくい話」を「する? しない?」ということが、
私の周りでよく話題に上っています。
社内ミーティングでも「オープンマインドでありたいね」とか、
「とは言っても、遠慮してしまう」などの話が出たり。
そんな折、かつて当社のスタッフだったX君と飲みに行ったのですが、
偶然にもまたそんな話題になりました。
X君は、某ベンチャー企業で経営を任され、
苦労はあっても、仕事が楽しくてたまらない様子。
けれど、リーダーとして次のステージに行くには、
言いにくいことも言えるようになりたいと感じているのだそう。
リーダーであろうが、なかろうが、
人に対して言った方がいいのかな...と思いながらも、
言いにくさを感じることは、誰にとってもありますよね。
で、言いにくくなる理由が何かといえば、
・それを言ったことによって、相手を傷つけてしまうのではないか
・その結果、相手から嫌われてしまうのではないか
...の2点ではないでしょうか。
そして、そんな危険を冒してまで、相手にそれを言う理由はあるだろうかと問い、
言わないことが安全だと信じて、言わない道を選びます。
私は、人が人から「嫌われたくない」と考えるのは、
動物の本能として当然だと思います。
嫌われることは、敵を作ることを意味し、
敵を作ることは、攻撃されることを意味し、
攻撃されることは、それだけ生存しにくくなることを意味する、
と考えれば、動物の防衛本能そのものだとも言えます。
しかし、仮に嫌われもしないし、攻撃もされない、
むしろ信頼されるとわかっていたら、私たちはどう振る舞うでしょうか?
こうすると「好かれる」、こうすると「嫌われる」の法則は、
実はかなりの部分が思い込みから来ているように思います。
たとえば、、、、
「営業は、ニコニコ元気な態度である方が好感を持たれる」は、本当でしょうか。
もちろん、仏頂ズラが良いとは言えないかもしれませんが、
ニコニコ元気な態度を取られると、
何かを売りつけられると思って、むしろ警戒しませんか?
なのに、営業はこうあるべきだと教えられるし、
一度そう思い込んでしまうと、そのままそうしがちです。
「こうすると嫌われる」も同じようなことが言えます。
ある人が自分に何らかの助言をしてくれたとして、
本当に自分のことを思ってくれていることさえ理解でき、
押し付けられているのではないことがわかれば、
むしろ信頼したくなりませんか?
その助言の通り、行動しなかったとしても、信頼感は増すと思います。
反対に、いくら円満な雰囲気で会話できていたとしても、
上っ面の会話しかしない相手は、信頼しないのではないでしょうか。
反対側から見ると、そう思えるのに、
それができないのにも、やっぱり理由があります。
言いにくい時ほど、相手のことを考えていないからです。
嫌われたらイヤだなというのも、結局考えているのは自分のことですし、
こっちの言い分を押し付ける心理、
相手を否定している心理にあるから、言いにくくなります。
要するにどこか「後ろめたい」ってことですよね。
私自身はこのような考えでいるので、どちらかと言えば、
言いにくいと思わずに言う方なのですが、
それでも言いにくいと感じてしまうことがあります。
そういう時は、大抵、相手を否定している心理があったり、
相手を思うよりも、自分の考えをわかってほしいという気持ちの方が強かったり、
どこかしらバランスを欠いています。
「言いにくさ」を感じた時、
その裏には、人としての成長のヒントがたくさん隠れている。
そう思うと「言いにくさ」ともうまく付き合えそう!
10月も残すところ2週間。どうぞ良い1週間をお過ごしください。