「必要のないこと」に価値がある
今日は、本日配信のメルマガを転載しますね。。。
昨日は、ちょっと変わった珍しい会に参加してきました。
私は、「サザエさんの街」で知られる世田谷の桜新町というところに、
30年ほど住んでいます。
桜新町では今の住まいが4軒目になるのですが、
昨日は2年前まで住んでいたマンションのOBOG会に招かれ出席してきました。
そんな話、聞いたことありますか? ですが、そんなマンションだったのです。
住んでいた当時も、個性的なマンション&コミュニティで大好きでした。
住民同士、顔と名前がわかっており、懇親会を重ねるうちに、
家族構成はもちろん、おおよその仕事や出身地などを知るようになりました。
だから意外ではなかったのですが、
それでも本当にお誘いの電話をいただいたときは感激しました。
会には、8年前に退出した世帯も含め、
19世帯のうち12世帯が参加し、大盛況でした。
で、気づいたのは、「必要のないこと」を「推めること」には
価値があるということです。
どういうことかというと、、、
ここでいう「必要のないこと」というのは、
それがなかったとしても、「メチャメチャ困るわけではないこと」です。
一度暮らしたマンションのOBOG会が開かれなかったとしても、
誰も困らないし、むしろ開かれることの方が驚きです。
必要性はゼロに等しい会合と言っても過言ではありません。
でも、現在も住民であり長老格のMさんが、それを思いつき、 「やろう」と呼びかけた。
そうしたら大勢が賛同して参加する、ということが起きました。
それは、「こんなのがあったらいいな」という願いを
Mさんが実行したから起きたこと。
別に「みんなが困っているから解決しよう」と思ったわけではありません。
「必要性」というのは合理性の世界。
それに対し「あったらいいな」は夢の世界です。
必要性に対して行動することにももちろんん価値はありますが、
むしろ人々の幸福や喜びにつながるような革新的なことというのは、
「あったらいいな」から生まれるような気がします。
しかも、「あったらいいな」と思うということは、
「今はない」ということ。
世界初の...
日本初の...
東京初の...
業界初の...
創業以来初の...
初だからといってなんでもかんでも価値があるわけではないでしょうが、
でも歴史的転換点を生み出したことに変わりはなく、
それはみんな誰かの「あったらいいな」から始まるものだと思います。
けれど、「あったらいいな」を実行することは、
思いのほか簡単ではなく、勇気や行動力が必要ですよね。
マンションの会を開くというようなことさえ、
普通ならちょっと尻込みしてしまうのではないでしょうか。
なぜなら周りの人にとっては「必要性がない」と思うからです。
私たちは、知らず識らずのうちに、
自分の夢を合理性がないという理屈でぶち壊しているのかもしれませんね。
だからこそ、それを実行してくれた人を私は讃えたいし、
自分が尻込みしないためにも、
まずは「こんなのあったらいいのにね〜!」とクチにすることを
心がけたいと思います。「誰かのため」ではなく、
まず「自分のため」の「あったらいいな」を大切にして...。
小さな「あったらいいな」を誰もが気軽にクチにして、
フットワーク軽く始めることができたら、社会が変わるような気がします。
インフルエンザが流行っていますね。
どうぞ健やかな1週間でありますように!