分かり合うこと、それは「言葉」を大切にすること
当社では、仕事で分からないことを分からないと言わないと、
叱られます。
何が分からないかが分からない時にも、
何が分からないかが分からないと言えと、教えられます。
でも、世の中ではそうではない会社もたくさんあるようです。
私のパーソナルトレーナーはコンサル出身ですが、
調べれば分かることを調べずに聞くのはNGだったのだとか。
そんなことに上司の人件費と使うなという考え方だったそうです。
そういうことならまだ分かります。
でも、採用活動などをしていると、
たとえ目的さえよく分からない時でも、質問できる雰囲気にない...
そんな組織も多々あるようです。
分からないまま進めて、出戻りが増えるくらいなら、
分かった状態で進めて、そのアウトプットにフィードバックする方が、
効率的だし、成長スピードも上がるはずなのに。
さて、今日のテーマは「分かる」と「言葉」の関係です。
この記事で考えたい「分かる」の対象は、
・自分について
・接触する相手について
・自分を取り囲む物事について
です。
それぞれについて、自分が今何が分かっていて、
何が分かっていないのか、
そこにアンテナを立てることは、
コミュニケーション上も、重要ですよね。
たとえば「自分について」。
心理学で使われるフレームワーク「ジョハリの窓」の中に、
「盲点の窓」というのがあります。
自分について、他人は気づいているのに、
自分は気づいていない自己のことです。
そこに興味を持ち、分かろうとすることは、
コミュニケーションのズレを減らすために重要だとされています。
友人知人を含め、私の周りにいる人たちを観察すると、
「分かる」ことにこだわる人とこだわらない人がいるようです。
「こだわる」という言葉を使うと、まるで価値観のようですが、
私は、ただ行動習慣に違いがあるだけであって、
価値観でもなければ、能力的な違いでもないと考えています。
両者は「分かる」の捉え方も違います。
前者にとって、体系的かつ論理的に話せる状態が「分かる」であり、
後者にとって、ピンと来ていたら「分かる」です。
でも、、、そんな二人が会話をすると、
噛み合わないという事態に陥りがちなのも事実。。。
体系的かつ論理的に「分かる」ことにこだわる人が、
そこにこだわる理由は、分かることに意欲的だからというよりも、
分からない状態を放置しておくことが気持ち悪いと感じるからのようです。
この人たちに共通する特徴は、自分との対話を頻繁にしている点。
内省とか、内観と言ってもいいかもしれません。
その時、駆使しているのが「言葉」です。
自問し、言語化しながら自分の考えを整理していく、そんなやり方。
「〜ついて考えたのですが...」「ふと疑問に思ったのですが...」などと
話し出すことが多く、意見が明瞭で、説明も上手です。
一方、体系的かつ論理的に「分かる」ことにあまりこだわらない人は、
考えることや意見を持つことが苦手な人でもあります。
共通するのは、言語化して分かろうとせず、
イメージや感覚で分かろうとすること。
直感的に何が正しいかを感じ取ることに長けていて、
いきなり答えを口にしたりします。
その反面、説明も感覚的になりやすいので、
分かっているのは自分だけという状況になりがちです。
私自身は、「分かる」ことにこだわりますが、
直感が先に働くことも多いので、後者の人の気持ちはよく分かります。
で、先ほども書いたように、前者と後者の二人が会話をすると、
大抵の場合、なかなか話が噛み合いません。
さて、人が誰かに分かってほしいことを分かってもらうための
重要なツールが「言葉」です。
おそらくこれに異論がある人はいないのではないでしょうか。
では、こっちの2つはどうでしょうか?
「言葉」は、
・自分の考えや自分自身について理解を深めるためのツールでもある。
・相手について理解を深めるためのツールでもある。
私たちグラスルーツの理念は、「『言葉』で未来をつくる」ですが、
言葉にこだわるのは、分かり合う努力をし続ける世の中でありたいからです。
だからこそ言葉をそのための重要なツールとして、大切に扱いたい。
自分を、相手を、物事を、私は分かろうとしているだろうか?
言葉というツールを駆使しているだろうか?
そんな自分との対話で始めたい9月第1週です。
今年も残るは4カ月。
どうぞ素敵な1週間をお過ごしください。