フィードバックされるのは、好き? 嫌い?
あなたはフィードバックされること、好きですか? 嫌いですか?
先日、
その方曰く、「フィードバックしやすい人と、しにくい人がいる。
しにくい人というのは、最初からバリヤーを張っていて、
フィードバックを歓迎していないことがすぐにわかる。
でも、
そんな話でした。
要するに、プライドが高い人へのフィードバックは難しい、
私も、過去30年以上、部下を見ていて、
フィードバックを歓迎しない部下は一定割合いるので
(というか、多くの人はフィードバックに困惑気味...
この話を聞いて、そうだろうなと思いました。
で、フィードバックの種類にもいろいろありますよね。
長期的な課題を伝えることもフィードバックですし、
今提出されたドキュメントに対しコメントすることもフィードバッ
イメージをクリアにして話したいので、
ここでは提出されたドキュメントへのフィードバックを前提に書く
提出されたドキュメントへのフィードバックが歓迎されない場合、
相手の心の中でこんな反応が起きているような気がします。
「なんでこれでダメなの?」
「それは小野さんの意見ですよね?」
「そんなに出来が悪いでしょうか...?」
「え、もう時間がないんですけど...」時間が取られ、
こうしたことが起きるのは、
多分、フィードバックは自分のためにあると思えていない上に、
自分一人では気づけないことがあると思えていないからです。
さらに、品質についても、自分ひとりのアウトプットに対して、
上の上のそのまた上があると思えていないからです。
だから、まず「小野さんは自分の成長のために言ってくれている」
思ってもらえる信頼関係を作ることが最初の仕事かもしれません。
そうしないと、フィードバックはまず機能しませんね。
それと高いレベルのアウトプットを要求するなら、
そういう合意を先に作る方が大切で、
私たちは三流ではなく、一流を目指すと合意できていれば、
「なんでこれでダメなの?」
そんな合意があってもなお、
否定されることがイヤなのだと思います。
で、ここで新たな問いが生まれてきました。
人は、
そもそも、そこに問題があります。
というのは、先に「
書きましたが、実はフィードバックを喜ぶ社員も一定割合います。
彼らに確認したわけではありませんが、
おそらくフィードバックを「否定」とは捉えていません。
あくまで「材料」と捉えています。
「否定」と捉える人は、フィードバックについて
「否」を「是」に変えるための「指摘」と捉えています。
でも、「材料」と捉えている人はそうは捉えず、
もっとより良いアウトプットをするための材料、
もっとより良い考え方を身につけるための材料、
もっと自分が成長するための材料、と捉えています。
そこから自分がどう咀嚼するかは自分次第と受け止めているように
さて、
私は社長なので、放っておくと、
フィードバックされない社長がどうなるかというと、
みんなが知っているアンデルセンの童話「裸の王様」
なので、私はそうならないために、
フィードバックを得られるように努めてきたと思います。
それでもきっと100のうち50ぐらいしか得られていないんだろ
そうやって得た貴重なフィードバックからまた思考を深め、
そんなことをやってきたような気がします。
で、ここで気づいたのですが、裸の王様になる懸念、
社長でなくても誰しもありますね。
最後に、最初の質問と同じ質問です。
あなたはフィードバックされること、好きですか? 嫌いですか?
私は先週風邪で3日間お休みしました。
今週は元気に過ごしたいものです。
風邪、流行っているようなのでお気をつけください。
どうぞ素敵な1週間でありますように!