「考える」ことも「運動」のひとつ?〜ドラムレッスンからの気づき
今日のタイトルを読んで、多くの人は疑問を感じたのではないでしょうか?
「考える」を「運動」の一つと言われたら、誰だって疑問に思いますよね。
でも、こう思ったのには理由があります。
多少無謀な説明にはなりますが、聞いてやってください。
「考える」ことに役立ちそうな原理原則、まとめてみましたので!
さて、発端。最近、私はドラムを始めました。(写真はレッスンスタジオ)
きっかけは、6月の誕生日に社員のみんなからもらった体験ギフトです。
マッサージ、ヨガ、エステ、いろいろな体験メニューがあります。
でも、私は、どうせなら今までやったことがないことで、
やりたかったことを選ぼうと決めて、それが楽器の「ドラム」だったのです。
初めは、「一生に一度やってみたかっただけ」だったのに、
体験したら、楽しくて楽しくて、ハマってしまい、
この週末に3度目のレッスンを受けてきました。
ドラムというのは、右手右足、左手左足と、異なることをやります。
考えながらでは追いつかないですし、
スポーツに似ていて、アクロバティックでもあります。
そして、生まれた初めて体験した初日、何かひらめきました!
私は、この体験から何かしら人生に役立つ原理のようなものを得られそうだ、と。
体が。あるいは脳が。
オーバーに言えば、ここに生きる知恵、生きるコツがありそうな気がする!と。
最初の体験の日の私は、こんな感じでした。。。
取り組むべきリズムフレーズがわかる。
頭ではわかっても、簡単に体がついていかないことがわかる。
わかると、できるの違いがわかる。
叩きたいリズムフレーズを分解して、体ができそうなことをやってみる。
すぐにはできないが、まもなく「これならできる」の手がかりをつかむ。
一つ上の複雑さをやってみて、前の体験とつなぎ合わせていく。
これも、徐々にできるようになる。
最初の体験を言葉にすると、そんな感じです。
しかも、心がワクワクしているときは、難しいことに取り組んでいても、
難しいって思わないんですね。ただただ、やりたい、できたいと思います。
人のやる気スイッチの本質は、ここにあるんですね〜
そうやって私は体験初日に、何かグッとくることを体験できました。
それは「感覚の扉を開けることができた」ということです。
では「感覚の扉」とは何か?
それは「コツを体得する入り口に立つ」ということ。
「コツとは、脳の使い方、体の使い方の要点が感覚的にわかる」ということです。
こういうときには、こういうふうに脳みそを使う、
こういうふうに体を使う...ということが、感覚的にわかる。
しかし、問題は「コツ」はどうやったら体得できるか、です。
ドラムを例に言うと、「叩きたいリズムフレーズを分解して、
体ができそうなことをやってみる」もその一つですが、
先生から勧められたことがあります。
それは、「クチドラム」と呼ばれるもので、
叩きたいドラムのフレーズを声にして歌います。
私がこの週末に学んだのは、8ビートの「ドチタチ、ドドタチ」というリズムで、
「ド」はバスドラム ...というように、太鼓別にカタカナを当ててあります。
それをイメージして声に出すわけです。
え、そんなことが有効なの?と思いますよね。
私も最初はそう思ったのですが、、、
おそらくたくさんの太鼓を叩くのにも順番があり、しかもリズムがあります。
それがイメージできないと叩けません。
クチドラムはそのイメージを脳に覚えさせるのに有効。私はそう理解しました。
そして、脳に染み込むと、無意識にスムーズにその運動ができるようになります。
これは、スポーツを行なった体験がある人なら、
感覚としてわかるのではないでしょうか。
自転車を乗る感覚です。
さて、今日の本題。「考える」ことは「運動」のひとつなのか。
どう思いますか?
私は、今回の運動を習得するコツ、イメージを脳に定着させる方法は、
「考える」コツの習得に生かせるかもしれないと思い、
その仮説を今から披露します! ちょい、恥かし!
考える際に、「ドチタチ、ドドタチ」のように機能することは何だろう?
考えを進める方法をイメージ的につかむには何が重要なのだろう?
そう考えてみたのです。
最初に思ったことは、「8ビート」の動作をクチで表現したように、
「考える」の動作を言葉にし直したらどうなるか? そう考えました。
考える = 「トコトコ、トコトコ」です。
問い→答え→問い→答え→問い→答え→問い→答え
もちろん、答えは1つではないかもしれませんし、
直列的につながらない場合もありますが、
「考える」の動作を分解すると、「問いを持つ」+「答えを出す」です。
私が感じるのは、考えることに慣れていない人の場合、
漠然と考えることに向かって行って、
「問い→答え」をしていないように見えます。
どうなっているかというと、
「トコトコ、トコトコ」ではなく、「ココココ、ココココ」です。
問いがないのに、答えがある(不思議)。
きっと本当は心の中に問いがあったのだと思いますが、
その部分を言葉にしていないので、答えがなんの答えなのか、
ふんわりしてしまいます。
次に、クチドラムの「歌う」に代わることは何でしょうか?
それは、きっと「書く」です。
振り返ってみたら、私自身、考えるときにこれをやっていました。
「問い」を書き、「答え」を書くということをです。
そう、書くことは「見える化」する意味でとても重要なのに、
書かずに、頭の中だけで考える人、多いように感じます。
また心によぎったことは、何でも書けばいいのに、
考えがまとまるまで書かない人もいます。
でも! もし考えたいなら、むしろ何でも書いた方がいいと思います。
さて、、、、考えることに慣れていないと、「問い」が出せません。
でも、ここにもコツがあります。
クチドラム的に言うと、「トナドホ」です(笑 ←笑ってますが、マジです。
細かいことを言うと、もっといろいろな「問い」がありますが、
基本パターンは4つです。
(1)〜とはナニ?
(2)なぜ〜?
(3)どうすると〜?
(4)ホント?
1番2番は目前の状況を理解したり、目的を明確にする上で有効です。
3番は対策を考える上で有効です。
4番は、自分の考えの浅さを暴くための、自分ツッコミ質問です。
「トナドホ」よりも、英単語の方が覚えやすいなら、What? Why? How? Really? 。
世の中にはたくさんのフレームワークが存在していますが、
考えてみると、それらはクチドラムと同じです。
「考える」という行為も、結局は動作の一つだと見ると、
トレーニング方法も浮かんできます。
あ〜 もっと話したいこと、あるんですけど〜 すでに長すぎ!
8月も半ばに入って、私は冷房にやられて、コンディションがイマイチです。
みなさんも、体調管理を万全に夏を乗り切ってください!