スポーツでの「犠牲」という言葉
ラグビーワールドカップ 、
日本は敗れてしまいましたが、
日本を破った南アフリカが決勝に
進出しましたね。
決勝戦も目が離せません。
さて、ラグビーW杯で日本が
快進撃をしたのはとても
うれしかったのですが、
選手たちが発した言葉の中に、
ちょっとだけしっくりこない
言葉がありました。
「すべてを犠牲にしてきた」
という言葉です。
私は、言葉に過敏すぎるきらいがあるので、
今日の内容は賛同できない!と
叱られるかもしれません。
もちろん選手の皆さんが、そこまで
言葉を吟味していないのは承知の上。
決して批判するつもりがないことを
ご理解いただいた上で
今日は「犠牲」という言葉について
考えたいと思います。
実は「犠牲にした」という表現は
スポーツ選手が成果を出した際の
インタビューでよく出てきます。
その意味は、家族との時間がない、
自分の時間もない、
勝利のため、
ファンの期待に応えるためだけに、
時間を過ごしてきた...
という意味だと思います。
その努力は疑いようもないこと。
でも、、、犠牲という言葉の意味は:
「ある目的のために損失となることを
いとわず、大切なものをささげること」
「自分を顧みず他者を優先させること」
私が、スポーツ選手の発言で
この言葉に違和感を覚えるのは、
自分を殺しての結果だと言っている
感じがするからです。
忍耐し乗り越えたのは本当だとして、
損失だと思いながら努力するって?
自分のためにならないのに
忍耐するって?
...と。
自分のために、
自分が意志を持って選択したなら、
犠牲にしたという言葉を使う必要は
あるでしょうか。
あ、いえ、 選手たちはそこまで言葉を吟味して
話していないですよね。
でも、その言葉をもし変えたら
どうなるだろう?と思ったりします。
同じ忍耐でも、少しは
辛さが減るのではないかな、と。
大阪なおみ選手が、今年の初めに
コーチとの契約を解消した際に、
こういう発言をしています。
「サーシャには感謝しているが、
幸せを犠牲にしてまで
成功を収めたくないんです」
私はその通りだと思います。
人は自分の幸せのために、
何かを犠牲にする必要はない、と。
忍耐を選ぶのであれば、
それは自ら選択しただけ。
選択したと思ったら、
犠牲にしたとは思いません。
為末大さんがtwitterで
こんな発言をしています。
「会社から給与をもらっているのは
犠牲を払っているからだ
と思っている人は案外と多い。
(中略)
犠牲で対価をもらうという
考えの根底には、辛さや苦しさと
成果は比例するという思い込みがある。
でも、価値を生む事は
実は辛さとは関係がない」
私たちの人生観は
使う言葉に現れます。
またどんな言葉を使うかで、
私たちの人生も変わります。
あなたは「犠牲」という言葉を
どう受け止めますか?
今回のラグビーW杯で決勝に進んだ
南アフリカ。
ネルソン・マンデラ大統領と
ラグビーW杯での南アの優勝を描いた
映画「インビクタス」では、
決して自分は「犠牲者」にはならない、
自分の人生は自分が握っている...
そんなマンデラ氏の生き様が描かれ、
とても感動したのを覚えています。
まもなく11月突入です。
今週も素敵な1週間を!