フェアでありたいという価値観
先日も書きましたが、11月29日にグラスルーツは創立35周年を迎えました。
満35歳です。
ここまで当社をお引き立ていただき、本当にありがとうございます。
今日は、遅ればせながらそんな感謝をお伝えしたかったのと、
ちょっと恥ずかしい過去の思い出や、
存続できた理由の分析、披露させていただきます。
グラスルーツは私が26歳の時に誕生しています。
今でこそ理念やビジョン、価値観の大切さを社会に伝え、
それらの策定支援などにも関わっていますが、
恥ずかしながら、当時、当社自体はそれらがないまま、
この世に産声を上げました。
しかも、私は、当時、そういうことが大切だという認識も持てていませんでした。
その後、どうやらそういうことが大切であるらしいと認識できてからも、
理念を定めるとは、どんなことを定めることなのか、
ビジョンを定めるというのは、何を明らかにすることなのか、
ずーっと手探りでした。
そんなわけで、社内ではいろんなことが起きました。
たとえば、、、、
私としては社員に理念やビジョンを説明したつもりでも、
それを聞いた社員から、
「会社をどうしたいのか、全然わからない」
「グラスルーツは何のために存在しているのかわからない」
そんな反応が返ってくる。
数え切れないほど「ア、イタタタ〜」という経験をしてきました。
それに対し、当時の私は若かったので、自分が悪いのではなく、
私の話をわからない社員の方が悪い...ぐらいに思ったり(笑)
まったくもってダメ社長でしたが、
強いて良かった点を挙げるなら、社員が思ったことを言ってくれたこと、です。
そういう関係は意図して作ってきたので、結果的にそれがとても良かった。
で、私も根が真面目だからか、「ア、イタタタ〜」と感じるような出来事があれば、
それなりにちゃんと逃げずに考えました。
社員の気持ちと自分の気持ちとの間にあるギャップが何か、と。
おかげさまで、今では理念やビジョンというときに、
一般的には社員がどんなことを求めているのか、わかります。
さ、私の恥ずかしい話はこのくらいにして、
なぜグラスルーツは、35年間も生きながらえることができたのか。
実は今回分析してみたのですよー!
そして、冊子にまとめておこうと決めました。
会社が存続したその根底に何があったのか。
あったのは「フェアであること」という価値観でした。
美意識と言い換えてもいいかもしれません。
「フェア」という価値観は現在の当社WEBサイトにも記載されているように、
ある程度以前から大切なものとして掲げていたのですが、
一緒にメルマガを書いている阿部がさらに私の真意を引き出し、
今、原稿にまとめてくれているところです。
本当は社内向けのものですが、チラ見せで披露します(笑
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(一部抜粋)
グラスルーツは「フェアであること」を大切にしてきました。
フェアであることで本当の信頼関係が生まれ、
それが会社の絶対的な価値になっていきました。
なぜそこまでフェアにこだわったのかを振り返ってみると、
そもそも、私、小野真由美が「欺瞞」が嫌いだから、ということに気づきました。
自分の中に偽りの気持ちを感じると、とても心地悪くなるので、
自分に対しても、仲間に対しても、お客様に対してもフェアであろうと努めました。
すると不思議なもので、同じ考え方の仲間が集まりました。
それがグラスルーツの大切な価値観、DNAとなり、受け継がれてきたように思います。
徹底的にフェアであり続けたことで生まれた信頼関係は、
単なる信頼関係ではありません。
お互い、調子がいいときも、悪いときも、頼り頼られる特別な信頼関係、
言ってみれば「超・信頼関係」です。
つまり、グラスルーツは「フェア」であることで「超・信頼関係」を築き、
価値を高め、存在してきたと私は思っています。
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上記は前文の一部です。
さらに、たとえば、、、
「上から見ない。卑下しない」とか
「損得を一番に考えない」とか
「気づいたことは言う。思っていないことは言わない」など。
いろんな言葉で「フェアである」とはどういうことなのかをまとめています。
ちなみに、この整理をやってみて、私自身がとてもすっきりしたので、
当社のサービスに加えるつもりです!
さて、価値観を言語化することには2つの意味があります。
1つは、言葉を共有することで、意識を同じにするという意味。
もう1つは、言葉通り体現できているか、確認しやすくするという意味。
2つ目の「確認」するという目で当社社内を見てみると、
必ずしも今、全体として体現できているとは言えないかも。
35周年を機に、もう一度価値観の再確認をし、
気持ちを合わせて再出発したいものだと思います。
これからも末長く、グラスルーツをよろしくお願いします。