考える葦
2020年、最後のブログになります。
今年も1年間、おつきあいいただき、ありがとうございました。
さて、コロナに明け暮れた2020年ですが、
あなたはそこにどんな意味づけをしましたか?
私は、企業も個人も、
サバイバルできるか、できないかが問われるようになった1年、
そんな捉え方をしています。
1番の変化は、リモートワークが日常になったことですよね。
これによって、「自律」がキーワードになりました。
自律の定義、ここでは「自ら考え、行動する」こと、としてみます。
で、「自律」を巡っては、2つの問題が生じています。
1つ目は、入社してまもない若年層の育成について。
これまで、企業は、ある程度、学校のような役割を果たしてきました。
日本の学校教育では、「考える」ことをなかなか教わらないので、
学校に代わって、教えてきたという一面があります。
しかし、リモートワークになって、
それ自体難しくなってきているのではないでしょうか?
わかりやすいところでいえば、OJTが以前のように機能しなくなっています。
かつては、営業現場でも生産現場でも、
先輩は、こういう時に「こう考え、こう行動する」を知ることができましたが、
今はどうでしょう?
そのためか、辞めていく若者が増えていて、人事部はそこに悩んでいると聞きます。
そこを埋めるための方法論を築かないと、明るい未来はありません。
2つ目は、では、ジュニアではない30歳以降の人たちが
自ら考えて行動しているか、ということです。
もちろん、私もその中に入ります。
私は、しばしば耳にする「自ら考えて行動する」ということについて、
実はどんなことを意味するのか、
社会、あるいは企業の中で、共通認識がないのではないかと思います。
なぜなら、人は誰しも行動はしているし、
行動している以上、多少なりとも考えた上でのものです。
そんな自分の行動が「自ら考えた行動」と言えるのか、と聞かれたら、
「一応、そのつもり」と思うだけなのではないでしょうか?
つまり、その判断基準が曖昧だからです。
これは、私の解釈ですが、「自ら考えて行動する」というのは、
言い換えれば、「対処でない仕事をすること」だと思います。
対処とは、発生したことに対応すること。
「誰かに言われたから」とか、「こんなことが起きたから」などが動機となって、
行動することが、典型的な「対処型」の仕事です。
一方の対処型でない仕事とは、
誰からも頼まれていないけれど、
やるべきだと自分で判断し、すること。
あるいは、必要なことだと自分が信じているからやること。
ここではそれを「創造型」と呼ぶことにします。
ここで、自分の行動を時間という観点から分析してみたら、どうでしょう?
1日8時間のうち、何時間を対処に当て、何時間を創造に当てているか。
おそらく多くの人は対処に時間を費やしている。
かくいう私自身もそうです。
部下からこれをチェックしてほしいと言われて、
チェックしフィードバックするのは、100%対処。
お客様から打診されたことを検討し、回答する、
様々な相手先からいただいたメールに返信する、
部下から参加してほしいと言われてミーティングに参加する、
これらは、どれも100%対処です。
こういうことが必要だと考えて行動している時間は、
もしかしたら1日の中で5割ぐらいかもしれません。
いや、日によっては1割もない日があると思います。
(もちろん、メールもミーティングも、その中でできる創造型はありますが)
これらの中には「私が対処しなければ」という思い込みから
行なっていることも多々あるとは思いますが、
そういう思い込みをなくしたとしても、おそらく対処仕事は永久になくなりません。
でも、仮に毎日の時間の100%が対処仕事、
という状況が3年5年と続いたら、
相当にひどいパフォーマンスになってしまうのではないでしょうか?
自分の成長も止まってしまいます。
パスカルは随想録「パンセ」の中で、人間を「考える葦」と表現しました。
「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。
だが、それは考える葦である」
私たち人間は、唯一考える力を与えられています。
コロナ禍という状況をどう見るかも、各人各様で当然だと思います。
私には、コロナ禍が人間に提示しているものは、
「考える葦になれ」ということのように見えます。
ただ立っていて、風にさらされている葦にはなるな、と。
今年もありがとうございました!
来年はどんな年になるのでしょうか?
あなたにとって、来年が素晴らしい1年でありますように。