陸上男子400mリレーから「なぜなぜ思考」再考
何だかんだといろんな声がある中で始まったオリンピック。
終わりましたね。
選手たちのがんばりに感動をもらったり、
なぜ、ここでそんなことが起きるのか?
私がショックを受けたのは、体操内村選手の落下と、
男子400mリレーのバトンミスです。
特にリレー。
1走の多田選手のバトンが、2走の 山縣選手に渡らなかったのを観て、
テレビの視聴者も茫然としたと思いますが、
何よりも終わった直後のメンバーの心中は察するに余りあります。
平たく言えば、二人の間で起きてしまった悲劇的なミスです。
下世話な話になりますが、内心お互いをどう思ったのか、
桐生選手は「誰も悪くない」と言いましたが、
お互いに「自分は悪くない、相手が悪い」
気になりました。
けれど、チームスポーツで、
できるものなら組みたくないかも。
自責他責という言葉がありますが、
責任が自分にあるのか、他にあるかという意味だから
「責」という文字が入っているのでしょう。
自分自身で、
自責の念を抱いている時に、
「あなたの責任だ」と言われるのはあまりいい気持ちがしません。
ミスが起きた時、原因を追求し、
トヨタの「なぜなぜ5回」などは、
多くの人がご存知なのではないでしょうか。
しかし、なぜなぜ5回は一歩間違えると「原因探し」ではなく、
「犯人探し」のようになる、とはよく言われること。
うー 気をつけないと... (あ、三点リーダーだ!笑)
誰のミスかが明らかな時に、
人は「なぜ?」と聞かれたら、
反発を感じると言われていますね。
じゃあ、どうするかと言うと、「なぜ?」
「どうすれば?」。
「どうすれば?」を考えようとすると、
自ずと「なぜ」も考えるからでしょう。
うー これも、知識としてわかっていても、
やってしまいそうです。
「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」
「なぜ?」を「どうすれば?」に変えると同時に、
主語を変えるといい、という話もあります。
「あなた」「私」「ミス(事柄)」を主語に、
「なぜ?」「どうすれば?」の疑問文、読み比べてみましょう。
まず、「なぜ」から。
・なぜ、あなたはこのミスをしてしまったんだろう?
→確かに、原因探究というより、
・なぜ、私は彼がミスしないようにできなかったのか?
→「そこまで自責にならなくても、いいよ、ドンマイ」
・なぜ、このミスは起きてしまったんだろう?
→上の2つより、原因探求のニュアンスが強くなります。
今度は、「どうすれば」。
・どうすれば、あなたはこのミスをしなかったと思う?
→「なぜ」よりはマシですが、「当事者はあなた」
・どうすれば、私は彼のミスを防げたのか?
→ポジティブな「自責感」が感じられます。
・どうすれば、このミスは防げるだろう?
→コトを叱って、ヒトを叱らず。
たかが疑問詞、たかが主語ですが、
伝わるニュアンスはだいぶ違いますね。
さて、、、8月も中盤です。
夏バテの方も多いのではないでしょうか。
暑さも空調も辛いですが、気持ちだけは元気にいきましょう!