ネットの声をどう見ます?
ご存知の方も多いかと思いますが、
先週、品川駅港南口へのコンコースに表示された
「今日の仕事は楽しみですか」という広告がネットで物議を醸し、
結論から言うと、広告主により取り下げられました。
「上から目線で言われたくない」
「仕事は楽しみじゃなきゃいけないのか」
「品川駅、社畜回廊」
「つらくても頑張っている人を傷つける言葉だ」
眞子様のご結婚への反対もそうですが、
ネット社会の現代は、誰もが意見を言える時代です。
それは良いことである反面、
バッシングされるかもしれないと思うと、
メルマガを書くのにもちょっとおじけづきます。
でも、勇気を出して、書くぞ~
何かを発信するということは、メッセージありきです。
「押し付けがましくならないように」
万人ウケする内容などありませんからね。
だからこそ、
その重要性を改めて認識しました。
「今日の仕事は楽しみですか?」というコピーを見ても、
もちろん、
自分はマイノリティかも、と思った次第です。
バッシングや炎上で、自死する人まで出ている昨今、
何は良くて、何は悪いのか、とても気になります。
意見や批判、非難をすることは、表現の自由で認められています。
表現の自由には「感情」を表現することも含まれていますので、
「これ、キライ」と大きな声で言っても法律的には許される(
でも、誹謗中傷となると、そうは行きません。
この機会に、
「根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つけること」。
バッシングは、ウィキペディアによると、
「個人・
ということは、誹謗中傷の概念を含むのかもしれません。
法律的には表現の自由の範囲であったとしても、
たとえば、子どもたちが大勢で、クラスの誰か一人を
論理的に批判し続けたらどうなるか?
表現の自由で片付けていいのかという話になります。
さて、先ほどの品川駅の広告への反応に話を戻すと、
何かモヤモヤとした複雑な気持ちになります。
多くの人は、怒りに近い正義感で発言しているのだと思いますが、
そこに高揚感が混ざっているように見える人たちもいます。
どことなく、大勢で、「この企業はけしからん」と意思表示し、
言葉の力でやり込めることは、
言葉の力で傷つけられたから、
言葉の力で反発するというのはわからないではありませんが、
それだけに止まらない心理的な何かが働いているのかな?と。
ところで、「キャンセルカルチャー」という言葉をご存知ですか?
私は、今回、初めて知りました。
特定の個人や企業の発言や表現などを理由に、社会的に糾弾し、
制裁的な意味合いで、排除・追放したり、
品川駅の広告で起きた動きも、広告主は謝罪したわけですし、
一種のキャンセルカルチャーだと言えそうです。
調べてみると、
抗議(攻撃?)が起きたようですね。
「これにより自分は傷付けられている!」
「これは見過ごしてはいけない!」
だから声を上げる。声を上げることは、
むしろ積極的に言えば、良いことの場合も多いです。
だけど、
声の大きさは、声の数と同じではない。
声の真意もわからない。
本当に抗議として出された声もあれば、
高揚感を満たしたくて出された声もあるかもしれない。
国際政治学者の三浦瑠麗さんは、
「プレジデント・オンライン」の中で、
「人権運動だから、環境保護だから、100%
という理屈を唱える人はいるだろう。
「自分の側が正義だと思えば、自分の醜さや悪意に気づかずに、
あるいはそれに向き合うことなく、
ネットの声、あなたはどう眺めていますか?
10月ももう後半。元気に参りましょう!