プリンシプルの時代...?
先日のNHKクローズアップ現代で、
少女は自殺してしまったのに、学校も市の教育委員会も、
いじめがあったことをなかなか認めません。
あまりの腐り方に、怒りが湧いてたまりませんでしたが、
でも、これは日本社会の写し鏡なのかもしれません。
話は飛びますが、田村由美さんの人気コミック「
私は大好きなのですが、超インテリの主人公「久能整(
毎回「僕は常々思ってるんですが...」という言い回しで、
とつとつと持論を語るシーンがあります。
で、ある回でいじめについてこんなことを言うんですね。
~ 僕は常々思ってるんですが...
どうして
いじめられてる方が
逃げなきゃならないんでしょう?
欧米の一部では
いじめてる方を
病んでると判断するそうです
いじめなきゃいられないほど
病んでいる
だから
隔離してカウンセリングを
受けさせて
癒すべきと考える
日本では逆です
いじめられてる子を
なんとかケアしよう
カウンセリングを受けさせよう ~
ね、いいこと言うんですよ、彼!
日本の教育関係者が、いじめている側に目を向けないのは、
NHKクローズアップ現代で取り上げられた学校側の言い分もそう
「いじめている子どもにも未来がある」という理屈です。
彼らの未来を台無しにできない、と。
でも、それは言葉の綾であって、誰が聞いてもただの保身。
で、私は常々思ってるんですが...笑
結局、是と非を曖昧にしてきたツケが
日本社会のいろんなところに出ているんじゃないかな、と。
いろいろな場で、大人が、是は是、非は非という態度を取らず、
事を荒立てないことを第一に考えて行動するから、
いじめもなくならない。
コロナも説明されず総括もされない。
大人の代表には、政治家や教育関係者、マスコミがいますが、
彼らが悪いと叫ぶのは簡単で、
日本人が物事を曖昧にする傾向は、
正解がわかりません。
ただ、ふと白洲次郎が書いた「プリンシプルのない日本」という
本のタイトルが思い出されました。
ということは、少なくてもGHQと交渉していた時代に、
すでに自分の主義を表明しようとしない国民性であったのかもしれ
当時のエピソードとして、
サンフランシスコ講和会議に出向いた吉田茂のスピーチ原稿に、
白洲次郎が激怒し、書き直させた話は有名です。
~ 受諾演説の原稿を外務省の役人がGHQの了解を得た上で
GHQに対する美辞麗句を並べかつ英語で書いたことに白洲が激怒、
「講和会議というものは、戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず。
その晴れの日の原稿を、相手方と相談した上に、
相手側の言葉で書く馬鹿がどこにいるか!」と一喝、急遽日本語に書き直した。~
とあります。
「プリンシプルのない日本」の中で、白洲次郎は、
「他力本願」「八方美人」「イエスマン」
あのカッコいいおじさんに言われると、耳が痛いですね。
でも、
なぜかといえば、先日の衆議院選挙で、「是々非々」を打ち出した
日本維新の会と国民民主党が躍進しましたからね。
いや、まずは他力本願にならず、私たち自身が
仕事でもプライベートでも、是と非を明確にしたいものです。