私たちはヒツジ?
ビジネスシーンでは「怒り」はネガティブなものだし、
怒りを出すのは絶対的にいけないこと...
多くの人はそんな考えを持っているのではないでしょうか。
たとえば、怒りの悪いイメージの最たるものがパワハラです。
でも、怒りを、無自覚な負の感情の発散と捉えず、
ただの負の感情と見ると、怒りのイメージが変わってきます。
というわけで、今日の話題は、「
という疑問を感じたことがきっかけです。
日本は今、怒らずに従順であることを是とする「ヒツジ社会」
このままでは民主主義国家の対面を保てなくなるのではないか、
まあ、ちょっとオーバーに書くと、
でも、「今の日本はヤバイなー」と感じているのは、
ついでに言いますと、今週、阿部と
日本の教育の現状について嘆き合ったことも今日のテーマに関係し
その現状というのは、、、
生徒は、先生のお気に召す行動を取らないと、
それが、今の現実です。だとしたら、親は子どもに
「内申書に響くから、真面目に授業を受けろ」と言いますよね。
そこまでならまだしも、
「内申書に響くから、先生の言ったことに納得できなくても、
ちゃんと目を合わせて頷かないとダメよ」とか、
さらにエスカレートして「先生のことは、おだてておきなさい」
親が子どもに言ったとしたら、どんな人間に育つでしょうか?
この親の一言は、人から支配されること、人に媚びることを
是としてしまうわけです。
本当なら言ってはいけない言葉ですが、
でも、進学システムが現在のようであったなら、
親だけを責めるのも筋違いでしょう。
つまり、この進学システムを維持したら、
忖度する人間、意見を持たず迎合する人間、
従順でいるよう刷り込まれたヒツジ型人間を量産することになりま
それが、何を意味するのか、言わずもがなですよね。
さて、、、
怒りや反発を否定した社会は、
教育は、社会に返ってきます。
今、あなたの社内で、「これは、おかしいのでは?」
意見として言える人はどのくらいいるでしょうか?
意見でなくても、疑問を口にするだけでも良いとして、
言って良い雰囲気はありますか?
人が何かについて「おかしい」と思う時、
で、そんな怒りの根っこには、「正義感」がある。
その正義が独りよがりの場合はあると思いますが、
本来「怒り」イコール「悪いこと」ではないはずです。
それなのに、私たちは怒りを悪いことと思うがあまり、
あるいは、怒りは和を乱す元凶だと思うがあまり、
ついつい怒りの感情にフタをし、おかしいと思っても、
「おかしい」と言わなくなっている...
そんな状況を目にすることはないでしょうか。
話は少し飛ぶようですが、
この2年間、コロナ禍で、いろいろな「政策」を経験しました。
最初は、「みんなで頑張って耐え凌ごう」と、
とても日本的な暗黙の合意があったように思いました。
でも、今となっては、そんなに美しいものではなく、
ただ、お互いに同調圧力を感じ、
人から後ろ指を指されないように周囲に合わせておこう...
というだけになっているのかもしれません。
その結果、何の因果関係も説明されないまま、
飲食店はまたしても営業を制限されてしまい、
それでも、誰も「怒り」の声をあげません。
いえ、グローバルダイニングの社長が声を出し、
立派だと思います。
でも、結局、怒りのムーブメントは起きませんでした。
2歳児マスクの着用についても、同様です。
結果的に「2歳児」
子どもの発育状況に応じて「可能な範囲でマスク着用を推奨する」
という表現は盛り込まれました。
方針は「推奨」なわけで、それに対し、猛反発は起きていません。
大人の都合で、
私だけでしょうか?
この従順な反応は、
私たちは、ヒツジ?
と、言ったら、ヒツジに失礼かもしれません(笑)
閑話休題。
今、NHKプラスで「今ここにある危機とぼくの好感度について」
ドラマの再放送が見られます。
当たり障りのない、
大学の広報マンの物語で、
ユーモアたっぷりに風刺していて、最高におもしろいです!
今週の関東地方は雪という予報もあります。
では、ご意見ご感想、お待ちしています!